ヱヴァンゲリヲン新劇場版

今公開されているヱヴァンゲリヲンの映画、第二作を見てきました。
テレビ版以来なので、13,4年ぶりくらいになります。
うわさで「シンジくんよりも、ミサトさんやアカギ博士に感情移入するようになっていた」という同時代人の感想を耳にしていましたが、私の場合、それを通り越して「碇司令」のような立場になっている自分を発見しました。
「サッカーする気がないなら、やめてしまえ」みたいなことはよく言っています……。

天皇と日系人の交流

senzan2009-07-17

オバマ大統領によって、アメリカ連邦最高裁判所判事に指名されたソトマイヨールが、太平洋戦争中の日系人強制収容所について最高裁は「間違った決定」をした、と述べたそうです。ソトマイヨールはヒスパニック系で初めて最高裁判事に指名された女性で、現在、指名承認のための公聴会が議会で行われています。
http://www.afpbb.com/article/politics/2621192/4359898
太平洋戦争が始まって間もなく、1942年2月、アメリカのローズベルト大統領は敵性外国人を強制収容する大統領令を発しました。この措置の問題点は、アメリカ生まれのアメリカ国籍を持つ日系2世についても対象としたということ、また同じく交戦国であったドイツやイタリア系の移民については対象としなかったこと、です。同様の措置はカナダ政府によっても行われました。
こうした人権侵害、人種差別に対する政府による公式の謝罪と補償は、アメリカでもカナダでも、すでに1988年に行われています。それでもソトマイヨールがこの件について改めて態度を表明したのは、黒人を抜いてアメリカ最大のマイノリティとなった、ヒスパニック系初の最高裁判事として立場をはっきりさせておく必要を感じたからでしょう。
ところで、これと同じ時期に、日本の天皇と皇后がカナダを訪問し、日系人と交流していました。カナダには現在8万人前後の日系人がいると言われています。戦前に移民した日本人の子孫たちはすでに4世、5世にまで達しています。天皇と皇后はオタワ、トロント、ビクトリア、バンクーバーとなど訪問した先々で、強制収容の経験者を含む、こうした日系人たちに声掛けをし、話し合われる機会をもちました。なかにはバンクーバーの旧日本人街のように、現在はカナダで指折りの治安の悪い場所にも、わざわざ足を運びました。
私はこうした天皇の活動は非常に意義深いものがあると思います。第一に強制収容の当事者や差別を受けてきたその子どもたちに対する慰藉になること。第二に故国との縁が薄れつつある在外日系人とのネットワークが再構築されること。第三に日本社会におけるゼノフォビックな排外主義に対して反省を迫る契機になること。
天皇の外国訪問は国際的な意義だけでなく、国内に対するある種の反射的な作用もあるのではないか、と思います。

酒井順子『儒教と負け犬』

本書は、「負け犬」とは東アジア型近代化の産物ではないか、という仮説を上海やソウルでの聞き取りを資料にしながら、議論したエッセイです。彼女のいう「負け犬」とは「30代以上・独身・女性」のことで、仕事があり、お金があって、男遊びもするけれど、なかなか結婚できず、「勝ち犬」既婚女性から軽侮され、自分自身も卑下する気持ちを拭いきれない女性のことです。
この「負け犬」という言葉は著者の酒井順子が2003年にベストセラーになった『負け犬の遠吠え』で有名になった表現で、著者自身もまた1966年生まれの「負け犬」と自称しています。
今回の新著『儒教と負け犬』では、こうした「負け犬」の増加が東アジアの都市に共通する現象であるという発見から、その原因としての「儒教」が注目されています。

つまり、子供を産むなら結婚してから、という意識が強いこと。夫婦が同じくらい働いているのに、家庭や子育ての負担は妻ばかり重くなること。妻の方の収入が上だったりすると、それを負い目に感じる傾向があること。子育てを他人に任せることに、罪悪感が伴うこと。……それらの意識は、男が外で女は内、男が上で女は下、という儒教の影響が今も残っているからではないでしょうか(酒井順子儒教と負け犬』講談社、2009年、p.15)。

19世紀以来の近代化によって男尊女卑の「儒教」があった東アジアにも男女平等の思想が導入されました。明治維新から140年がたったとはいえ、「儒教」的な規範はいまなお執拗です。この結果、一方で自由で平等な男女関係を理想としつつ、他方で支配と依存の男女関係をよしとする、ハイブリッドな価値観が生まれました。
「負け犬」がこうした東アジア型近代化の産物であるというのは、近代化によって女性の教育や社会進出が進み、女性よりも「上位」の男性が相対的に減少したにもかかわらず、それでもまだ上方結婚(学歴や収入などの点で男性が上位である結婚、hypergamy)を支持する女性が多いからである、と著者は言います。
このように「儒教」こそ「負け犬」の原因であると喝破した著者は、脱「負け犬」のための方法として、次の2つの道を提案しています。
(1)草食系男子と結婚する
(2)結婚を完全に諦め、「負け犬」意識を払拭する
まず(1)は女子上方婚を否定し、自分よりも学歴や収入、リーダーシップの点で「下位」の男性(つまり草食系男子)と結婚する道を勧めるものです。この選択肢は、赤木智弘が主張する「男性にも主夫になる権利を認めよ」という提案と一致していて(「私は主夫になりたい」『若者を見殺しにする国』2007年、双風社)、したがってある種の階層格差是正少子化対策にもなりうる道です。
これに対して(2)は非婚化を肯定する道です。これは結婚という制度自体を否定するものですから、(1)よりずっと伝統に対しては挑戦的な選択肢です。他方で、自分より学歴や収入の低い男と結婚をするくらいなら、結婚しない方がまだましだという立場でもありますから、それだけ男尊女卑意識(つまり「儒教」)に束縛されているともいえます。ラディカルな外見のわりには、内面はずっと保守的という感じです。
さて、著者のいう「負け犬=東アジア型近代化論の産物」という議論には、もちろん、いろいろ突っ込みどころがあります。
まず「儒教」は女性の近代化において積極的に貢献した面もあるということ。本書にもあるように、東アジアの家庭では子女の教育に大変な資源を投下します(pp.55-58)。女性の高キャリア化の前提には女性の高学歴化もあるわけですから、「儒教」が一概に「反近代的」というわけではないでしょう(「いわゆる「儒教的近代化論」)。
次に上方婚意識は「儒教」に限定されないだろうということ。やはり本書でも言及されているニューヨークを舞台にしたアメリカ・ドラマ『セックス・アンド・シティ』に登場する女性や(p.23)、また「嫁にするなら日本人」のような一部の白人男性の意識は、広い意味での「男尊女卑」的なものでしょう。たぶん進化心理学的には女子上方婚はかなり広く観察される現象ということになるはずです。
そうはいっても、選択肢(1)の草食系男子との結婚という道は、上述の赤木智弘の批判に対する一種の応答になっている、という点で興味深いものがあります。男女格差よりも、男男格差(正社員とフリーター)や女女格差(既婚者と未婚者)の方が、少なくない30,40代の個人にとってはずっと切実な問題ということなのでしょう。
これまで分断統治されてきたバブル世代のキャリア女子とロスジェネ世代のフリーター男子が、本当に連帯できるのか。目が離せないところです。

儒教と負け犬

儒教と負け犬

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

七夕の願い

今月の22日には日本各地で日食が見られます。
今回の日食は今世紀もっとも条件の良い日食だそうで、関東でも太陽の7割が月に隠れる日食が見られるそうです。
そこで是非日食をこの目で見てみたいと思って、地元の宇宙科学館や区役所主催の観察会に応募しました。
募集は7月7日の朝9時から電話受付ということだったので、私は通勤途中の駅から何度も掛けてみました。まずは渋谷駅で、次に菊名駅で、その後は職場から。結局、電話がつながったのはお昼過ぎで、その時にはすでに定員に達していました。専門家の解説を期待していたのに残念です。
仕方がないので、市販されている日食グラスを購入し、自分たちで見ることにしました。家電量販店で買った、専門機関推奨の観察グラスは一つ1480円もします。二つで約3000円。これで22日が雨だったら、次に使用するのは一体いつになるのでしょう。こうなっては是が非でも晴れてもらいたいと思います。
さて、7日は七夕でした。妻の願い事は「家族の健康」、私は「藤子F不二雄大全集」でしたが、子どもは「天の川でおよぎたい」と短冊に書いていました。
その語彙は一体どこから来たんでしょうか。

天皇のカナダ訪問

senzan2009-07-02

明日から日本の天皇、皇后がカナダとハワイを訪問します。
7月3日から17日まで2週間の予定ですから、結構な長旅です。両名とも体調が万全ではないそうなので、無事に旅程を終えられるのか心配されるところです。
さて、天皇の訪加は国事行為にあたるので、内閣の承認が必要です。そのための閣議決定が今年の3月13日にあり、詳しいスケジュールが6月12日に内閣官房長官から発表されました。
以下に宮内庁のウェブサイトにあるその内容を引用します。

7月3日(金) 東京 御発
 オタワ(オンタリオ州) 御着(カナダ国)
 ポンティアックケベック州) 御着
7月4日(土) 同地御滞在
7月5日(日) オタワ 御着
7月6日(月) 同地御滞在
7月7日(火) 同地御滞在
7月8日(水) トロントオンタリオ州) 御着
7月9日(木) 同地御滞在
7月10日(金) バンクーバーブリティッシュ・コロンビア州) 御着
 ビクトリア(ブリティッシュ・コロンビア州) 御着
7月11日(土) 同地御滞在
7月12日(日) バンクーバー 御着
7月13日(月) 同地御滞在
7月14日(火) 同地 御発
 ホノルル(ハワイ州オアフ島) 御着(アメリカ合衆国
7月15日(水) 同地御滞在
7月16日(木) コナ(ハワイ州ワイ島) 御着
 同地 御発
7月17日(金) 東京 御着
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h21northamerica/eev-h21-northamerica.html#D0612

そもそも今回の訪加の趣旨は、日本とカナダの修好80周年を記念することにあります。またカナダは天皇が56年前に初めて訪問した外国でありながら、即位後には唯一訪問していないG7構成国でした。
7月3日に東京を出発し、同じ3日にオタワに到着します。夏時間で13時間の時差があるので、公式行事がある6日までは時差調整をするそうです。オタワの空港から市街地までは8キロくらい、そこから30キロほど離れたポンティアックで静養するようです。ポンティアックは、オタワとは川を挟んで北側にあるケベック州の田園地域です。
7月6日にはミカエル・ジャン総督主催による公式歓迎行事に出席します。ジャンは、クラークソンから2代続く、有色の女性総督です。彼女の紋章はハイチ出身であることを表象してマーメイドが採用されています。
その他、オタワでは日加修好の記念式典や大学で日本研究をしている学生と引見する予定です。一昔前までは日本研究というと政治学部や経済学部が中心でしたが、最近では人類学部やアジア学部に先祖帰りする傾向があります。そこなら日本のサブカルチャーが勉強できるからで、つまりオタク的な動機から日本に関心をもつ学生が増えたということなのでしょう。
7月8日からはトロントに移動し、日系カナダ人とも交流するそうです。アメリカやブラジルの100万というオーダーと比べると、7万から8万人のカナダの日系人は微々たるものです。それでもG8中では2番目に多いわけですから、日本外交にとって重要な人的資源なのでしょう。近年外務省は指導的な地位にある日系人との関係構築に積極的なようです。この点にも天皇訪加の意義があるのでしょう。
7月10日にはバンクーバーにやってきます。来年はこの地で冬季オリンピックが開催されます。またバンクーバーはかつて大圏コースをとる太平洋航路で起点となった港であり、横浜、神戸とは定期便が就航していました。日本にとっても歴史的に結びつきの強い街です。
7月のBC州はほとんど地上の楽園とも言える季節です。からりと晴れた日が続き、暑すぎず寒すぎず、しかも夜8時を過ぎてもまだ明るいので、仕事が終わった後でもスポーツを楽しんだり、庭でまったりとビールを楽しんだりすることができます。今日の報道によると、天皇不在中に衆議院の解散をするわけにはいかないという主旨の発言を町村信孝がしていましたが、麻生首相の胸中はともかく、両陛下にとってはベストシーズンの訪加だと思います。
現在の天皇は帝国時代に外地を訪れた経験はないはずです。平和条約発効後にカナダに上陸し、鉄道で4晩3日かけて大陸横断したときには、さぞ異国らしさを感じられたことでしょう。今回の訪加は懐旧の情の強いものになると思います。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h21-northamerica.html
(一部文字を修正、2009/07/03)

六つ珠のそろばん

senzan2009-06-30

実家の長屋の二階部分は倉庫になっていて、昔の農具や生活用品が保存されています。
例えば火鉢やお櫃、床几、囲炉裏鍋、長持、唐箕、算盤などです。
これらの品々は大人が見ても懐かしかったり、興味深かったりしますから、子どもとって面白くないわけがありません。
うちの子どもも六つ珠のそろばんを手に持って、「これは何?」と私に尋ねました。「ソロバンっていう昔の計算機だよ」と答えると、「ぼく、それ知ってる。ラピュタで見たことある」と言っていました。
そろばんはまだその用途も使い方も分かりますが、なかには何に使うのか知らない道具もあります。
いずれ、この種の古い農具や民具に関して調査し、記録しておく必要を感じました。うちの子どもが受け継ぐかどうかは別として、自分のルーツのディテールが分かるようにしておくことは大切なことだと思います。

どんな有名人が選挙に出るのか?

衆議院はいつ解散、総選挙をしてもおかしくない状況です。たぶん今度の選挙にも有名人がたくさん出馬することでしょう。それでは、一体、どんなひとが選挙に出馬するのでしょうか。
まずは帰納的に考えてみましょう。つまり、実例を通して、どういうパターンがあるか考えてみたいと思います。
選挙に出馬する人物には、大きくプロとアマに分けられます。プロというのは、現職を筆頭に、二世三世や官僚、党専従職員のように多かれ少なかれ政治に関する知識とキャリアがあるようなタイプです。これに対してアマというのは、政党の公募に応じて選ばれた脱サラ組か、あるいはテレビで有名なタレントのように、これまでの人生でほとんど政治とは無縁だったタイプです。
ここではテレビに見かける有名人に話をしぼってみましょう。選挙に出馬する有名人は4つのカテゴリーに分けられます。すなわち、タレント、スポーツ選手、テレビ学者、旬の人です。
第一のタレントには、他に俳優や局アナも含みます。例えばガッツ石松大橋巨泉丸川珠代などです。
第二のスポーツ選手には、指導者も含みます。例えば橋本聖子横峯良郎荻原健司などです。
第三のテレビ学者には、テレビ弁護士や評論家も含みます。例えば舛添要一田嶋陽子橋下徹などです。
第四の旬の人というのは、何らかの理由でテレビ露出の多かった人物です。例えば川田龍平堀江貴文義家弘介などです。
これらの中にはガッツ石松ホリエモンのようにそもそも当選しなかった人たちもいますし、当選してもほどなくして辞めていった大橋巨泉田嶋陽子のような人たちもいます。辞めはしてはいないけれど、丸川珠代荻原健司のように存在感の薄い陣笠議員もいれば、舛添要一橋本聖子のように地道にキャリアを積んで、頭角を現している人たちもいます。さらには(厳密には国政ではありませんが)橋下徹東国原英夫のように台風の目になるようなケースもあって、一概に、有名人だから政治家として無能だとは言い切れません。
次に演繹的に考えてみましょう。まず立候補する動機・目的に関するマトリクスを作ってみます。
選挙に出馬するのには、その動機が個人的か社会的かという点で、2つに分けられます。また、その動機が積極的か消極的かという点でも、2つに分けられます。この2つの区別を組み合わせると、都合、4つの動機・目的に関するカテゴリーがえられます。
第一のカテゴリーは「個人的・積極的な動機」です。これは「名誉欲」とも言いかえられます。金と地位は手に入れたが、まだ名誉がないというような成り上がりタイプの人物が、このカテゴリーの動機から政治家になろうとする場合があります。例えば、ヤンキー先生義家弘介ライブドア元社長の堀江貴文などがこのタイプかもしれません。
第二のカテゴリーは「個人的・消極的な動機」です。これは「落ち目」とも言いかえられます。芸能界やスポーツ界などで落ち目の人物で、現在の立場にあまり未練のないようなタイプの人物が、このカテゴリーの動機から政治家になろうとする場合があります。例えば芸能界をセミ・リタイアしていた大橋巨泉、スキャンダルのあった東国原英夫などです。選挙に出馬すればマスコミによる過去の粗探しが待っています。失うものが多い立場の人間には無視できないコストでしょう。また彼らにどれだけ改革意欲があるのか疑問です。巨泉はすぐに辞めてしまいましたし、東国原に政治とステージの区別があるようにも思えません。
第三のカテゴリーは「社会的・積極的な動機」です。これは「改革意欲」とも言いかえられます。例えば、このカテゴリーに該当するのが拉致被害者家族の増元照明や薬害肝炎訴訟の福田衣里子などです(福田は予定)。この人たちの動機は日本の外交や行政を変えたいというものなので、個人的ではありません。また、職能団体や宗教団体などのすでに権益を確立している組織の後援を受けているわけでもないので、消極的(防衛的・保守的)ではありません。
第四のカテゴリーは「社会的・消極的な動機」です。これは「既得権益」とも言いかえられます。例えば医師会や日教組、宗教団体の権益を保守するために、その推薦を受けて立候補するようなタイプの人物です。すでに一定の集票マシーンがあるわけですから、有名人がその知名度を活用しなければならない必然性はありません。よってこのカテゴリーの動機で出馬する有名人はあまり多くありません。
このように演繹的に考えてみると、選挙に出そうな有名人というのが予想できます。有名人なら誰でも出馬するわけではありませんから(例えばタモリやさんまはいくら有名でも出ない)、動機を基準にして候補者を絞り込むことが有効です。
第一の「名誉欲」のケースでは、島田洋七石川遼の親族が考えられます。横峯さくらの父親だって当選したんですから、石川遼の父親や叔父であれば安泰でしょう。また宮根誠司やある種のテレビ弁護士もあるかもしれません。
第二の「落ち目」のケースでは、みのもんた星野仙一が考えられます。二人とも中年以上に一定の支持者がいますし、テレビ不況とWBC以降、彼らに今後の展望があるようにも見えません。北京オリンピックで引退した朝原宣治なども、あるかもしれません。
第三の「改革意欲」のケースでは、湯浅誠田母神俊雄が左右両翼の筆頭でしょう。また、藤原和博陰山英男など教育改革で実績のあった人物や、勝間和代赤木智弘のようなロスジェネ世代の偶像も、考えられます。このカテゴリーはある意味で日本社会の鏡像といえるかもしれません。
もちろん以上の分類や予想は当人や関係者から聞いた結果ではありません。出馬の動機や立候補の予定というのはまったく私の想像にすぎません。
ただ、郵政解散で「刺客候補」が話題になり、来るべき総選挙で「世襲」が争点になっている現状では、有名人と政治的リクルートの関係について考えておくのは無駄ではないと思います。だから、以上の「予想」というものも、未来に関わる判断というよりも、現在の日本政治のあり方に関する記述というふうに受けとめてほしいと思います。