子どもの暮らし

被災地から離れたさいたま市では子どもたちの暮らしはこれまでとほとんど変わっていません。定時に学校に集団登校し、授業が終わると、親の帰りが遅い時には学童クラブに行き、在宅勤務のときには集団下校しています。ただ、直接的な被害はありませんでしたが、間接的な影響はありました。
一番の変化は給食が休止になったことです。計画停電の発表が13日(日)の深夜であったため、14日(月)だけはなんとか用意されましたが、15日以降は弁当持参に変わりました。もともと3学期の給食は18日までだったので、休止の判断もしやすかったのかもしれません。
もう一つ変化というと、子どもがマスクを着けて登校するようになったことです。私自身は、福島原発の事故によって埼玉県にまで健康被害が及ぶとは考えていません。子どもにも心配はないと話しました。福島第一原発からさいたま市まで約200キロメートルあります。同じように、広島から実家のある島までの距離は約200キロメートルです。敗戦後の混乱があったとはいえ、その当時、原爆被害があったという話は伝わっていません。核兵器でさえ、その程度です。
にもかかわらず、子どもがマスクをしたがったのは、学校のクラス担任がマスク着用や窓の閉め切りを示唆したからだそうです。子どもからの伝聞ですから正確なニュアンスは分かりませんが、それにしても先生の行動は過剰反応なように思います。また短縮授業措置の結果、放課後に友達と遊ぶチャンスが増えたにもかかわらず、やはり外遊びを控えるように指示している家庭があるらしく、遊ぶ約束ができない、と子どもは残念がっていました。
そうした中で、先日、子どもが参加しているサッカー少年団で予定通りに卒団式が行われたのは嬉しい出来事でした。6年間毎週土曜、日曜にサッカーの練習、試合に明け暮れていた子どもたちにとって大事な節目の日です。またそれを陰に日向に支援してきた保護者(たいてい母親)にとっても、大事な日です。卒団生の母親や役員の方々は卒業式に参加するような服装で来ていました。ハンカチで目をおさええる出席者もいて、親の胸にも去来するものがいろいろあったのでしょう。
ここ1週間、異例のことの連続でしたが、子どもの気持ちをいたずらに不安にさせるような振る舞いはしたくないものです。