方法論の生まれるところ

 社会科学の語りには、大きく分けて「記述」「記述的推論」「説明的推論」の三段階があって、後者ほどより高次に科学的であると考えられている。「記述」というのは、例えば「景気がよくなっている」とか「国民は自民党を支持している」といった社会の出来事に関する特徴(パターンや規則性)を記述したものである。こうした「記述」は直感や印象にもとづいて誰もが日常的に行っているものである。
 これに対して「記述的推論」や「説明的推論」には一定の手続きが求められる。「記述的推論」として「景気がよくなっている」というためには、設備投資や雇用に関する統計や消費者の心理についての調査などの手続きを経た上でなければ、そうした傾向を示すことはできない。自分の給料が上がったとか、近所のスーパーで売り切れの日が続いた、という特殊な根拠だけでは一般的なパターンを指摘したことにはならない。要するに、バイアスを排除しなければならない。そのためには一定規模以上の統計でなくてはならないし、サンプリングがランダムでなくてはならないし、調査の仕方が誘導的であってはならないし、特定の立場で書かれた資料だけを鵜呑みにしてはならない。こうした手続きを経て初めて「記述的推論」といえる。これに対して「説明的推論」にはさらに高次の手続きが求められる。「記述的推論」が「どうなっているのか」という問いに答えようとするものであるのに対して、「説明的推論」は「なぜそうなるのか」という問いに答えようとするものである。例えば、単に「景気がよくなっている」というだけでなく、「これこれの理由から景気がよくなっている」と言えなくてはならない。このとき「景気がよくなっている」にあたる部分を従属変数(目的変数)というのに対して、「これこれの理由」にあたる部分を独立変数(説明変数)という。「説明的推論」とは、結果A(従属変数)は、BやCやDではなく、Eが原因(独立変数)となって発生した、ということを示す作業のことである。この場合、推論が妥当であるためには、結果Aは、BやCやDがあるだけでは発生せず、Eがなくてはならない、ということを示す必要がある。言い換えると、Eがある場合にはAが発生し、Eがない場合にはAが発生しない、という対照実験を行う必要がある。
 しかし、こうした実験は物理学や化学では普通だが、社会科学ではけっして容易ではない。「減税は景気をよくする」や「出生率の上昇が景気をよくした」といった「説明的推論」が妥当であるためには、「減税をしないと景気が悪くなる」や「出生率が低下していたら景気が悪くなっていた」ということを示す必要があるが、対照実験のために「減税する場合」と「減税をしない場合」を同時に行うことはできないし、ましてや出生率を人為的に操作することなどもっと難しい。実際の社会や歴史を対象として研究する社会科学では変数をコントロールして実験するということは容易ではない。社会や歴史の外部に立つことができないからだ。こうした困難に対して社会科学は主に二通りの方法でもって対処してきた。一つは計算機上で仮想的に実験するという方法であり(シミュレーション)、もう一つは変数がコントロールされた状態を他に見つけてくるという方法である(比較)。特に後者の「比較」という方法は、ウェーバーの宗教社会学に代表されるように社会科学の王道である。例えば、「景気のよいイ国」と「景気の悪いロ国」を比較し、何が両国の景況に違いをもたらしたのか、それは「イ国には公共投資があった」が、「ロ国には公共投資がなかった」からである、というような要領の方法である。科学的な推論を行うには対照実験を行う必要があるが、社会科学で実験を行うのは難しく、その代わりに比較が行われているわけである。
 ところで、この方法としての比較が適切に成り立つためには次の二つの条件を比較対象が満足していなくてはならない。「類似性」と「独立性」である。まず「類似性」。社会科学では、「現代EU清朝中国」とか「日本と南米」とかの組み合わせで比較することにはあまり意味がない。比較対象となる単位間に類似性がないと、比較しても何が意味のある違いなのか特定しにくいからである。「イギリスとフランス」という組み合わせの比較はあっても、「アフリカと九州」という組み合わせがないわけである。説明変数を確定するためには他の変数がコントロールされている必要がある、とはそういう意味である。次に「独立性」。比較対象となる単位間に相互作用があっては比較にならない。例えば19世紀のカナダ、オーストラリア、南アフリカ、インド。一見別々の地域、別個の単位のように見えるが、いずれもイギリス帝国の構成要素であり、いくつかの次元で相互に影響しあう関係にあった。イギリスの豊かさとインドの貧しさが別個の現象ではなく、単一の現象(あるいは相互作用する二つの現象)であるなら、両者を比較してその内部に説明変数を求めようとするのは無理である。このように比較は「類似しているが、独立している」単位間でなければ意味がない。こうした条件を満足させる単位は今日では「国民国家」くらいである。この意味で社会科学は「国民国家」と親和的である。
 では、社会科学は「国民国家」を比較することで「科学」の資格を得たのであろうか。そうではないだろう。「類似性」はその前提として一つの単位の内部は斉一的であるという想定をしている。けれども、「国民国家」の内部が一様でないことは社会史の教える通りである。また、「独立性」についてもグローバリゼーションをもちだすまでもなく「国民国家」間には相互作用があり、ある制度領域(例えば経済)については国境を越えた一体性が強く、別の制度領域(例えば教育)については国境内部で完結性が強い、というばらつきが見られる。さらには、こうした「国民国家」自体が社会科学の方法的、実践的要請から創造されたという面もある。社会科学の方法において「国民国家」が都合が良いことは先に述べた通りだが、それと関連して、1950年代から60年代の社会科学(特にアメリカの開発経済学や政治発展論)はアジア、アフリカ地域に関して「国民国家」を単位とした研究を行い、それに基づいてアメリカ政府がネイション・ビルディングを支援した(開発援助とか)、という経緯がある。これは、先に述べた社会科学では観察者も社会や歴史の外部には立てない、ということの系である。と同時に、アメリカの社会科学であったからこそ、そうした系が現実のものとなりえたともいえる。
 いずれにせよ、社会科学に対する評価は、単に「科学的」であるかどうかだけで測られるべきではなく、(それとは独立して成り立ちうる)社会的な有用性(制度や政策の設計に際してそれなりに使える参照枠やヒントを与える)や世間的な説得力(なるほど、そういうことなのかという納得や安心感を与える)など測られるべきだ、と個人的に考える。