三谷太一郎『大正デモクラシー論』(初版1974年)

senzan2006-05-25

 著者の専門は日本政治外交史であるが,こういう分野の伝統は日本特有であるという(酒井哲哉の議論).欧米であれば内政を扱う政治史と,対外関係を扱う外交史とは独立しており,内政と外交を両睨みしてその相互作用を見るような研究はむしろ近年のものである.著者の研究の特色も,こうした内政と外交,政治と思想といった異なる審級間の複雑な関連を大胆な見取り図で描き出すところにある.また著者は日刊歴史共同研究委員会の日本側座長として,日韓のあいだで歴史の共有を目指すという困難な作業の一里塚を築いた点でも尊敬される研究者である.以下では覚書としてその第3章「大正デモクラシーアメリカ」に触れた上で,いくつか感想を述べたい.

新版 大正デモクラシー論―吉野作造の時代

新版 大正デモクラシー論―吉野作造の時代

 まず第1章「大正デモクラシーの意味」から,著者のいう大正デモクラシーがどのようなものか先に見てみたい.著者によると,大正デモクラシー時代精神は「国家的価値に対する非国家的価値の自立化の傾向」(p.7)にある.国家理性に対する国民感情の自立化,統制に対する資本の自立化,学問や教育の自立化など.こうした社会的なものの上昇の政治的な表現が政党内閣制である.ここで重要なのは政党制と議会制の違いである.明治維新において後者はすんなりと受容されたのに対して(公議輿論),前者は分裂のシンボルとして忌避された(『福翁自伝』の「徒党」).これは日本に限った態度ではなく,一般に革命政権に共通する志向である(例えば『ザ・フェデラリスト』).この状況が変わり始めたのが日論戦争後である.朝鮮半島の併合と条約改正によって明治国家の目標が達成されると,元老は権力の中心から引退し,代わって官僚,軍隊,政党などが政治のアリーナに出てくるようになった.こうした指導体制の多元化を制度化したものが政党制である.また日露戦争では増税の結果,有権者が増加したこともその要因の一つとなった(日清戦争では増税はなかった).しかし,こうした大正デモクラシー普通選挙の成立を到達点として,以後,これに吸収されなかった軍部,官僚,無産政党の一部,民間右翼らの「革新運動」によって挑戦されることになる.もっとも昭和の革新運動が目指した「国家総動員」体制もある意味では大正デモクラシーの歴史的な所産であり,さらには戦後の民主主義も占領軍の作為はあったにせよ大正デモクラシーが「ほとんど自然的に蘇生した」ものなのである.「こうして大正デモクラシーは思想的にも人的にも戦後日本の政治体制の骨格を形成することになった」(p.42).
 こうした大正デモクラシーアメリカ要因との関連で検討したのが第3章である.第一次大戦(WW1)によってヨーロッパは没落し,アメリカが台頭した.そもそも日本はアメリカに対して,1)非ヨーロッパ的という点で親近感を抱き,2)海軍国という点で北進南守の日本陸軍と利害が一致し,3)民主主義と資本主義の先進国という点で「未来社会のある部分を先取りしているとみ」ていた(p.128).こうした既成のイメージを媒介として,WW1後のアメリカは日本にある種の衝撃を与えた.一つには自動車や活動写真であり(「私はあれ(=映画)を考へる時,今の時代に生きて居ることの恩沢を,初めて少々感じます」(佐藤春夫)),もう一には企業の経営合理化である(テーラー・システム).これらは要するに生活・思考様式の機能主義化,相対主義化を意味した.「こうした文化的衝撃とそれに伴う文化変容によって促進されながら,日本の外交および内政に巨大な変化を与えたのがアメリカの政治的衝撃であった」(p.133).では,そのアメリカの政治的衝撃とは何か.ウィルソン主義である.その普遍性はキリスト教社会進化論に由来する.これを踏まえて森鴎外はウィルソン主義による世界の民主化を不可避とみつつも,天皇制をいかに維持するかに心を砕き,山県有朋に期待した.他方こうした民主化を「世界の大勢」とみなし,順応しようとしたのが大正デモクラシーといわれる状況・運動であった.日本の大学で初めてアメリカ研究を講じた美濃部達吉新渡戸稲造吉野作造らがその代表的な思想家であったのは偶然ではない.これに対してウィルソン主義の特殊性に注目して,これを拒絶する立場もあった.WW1を資本主義諸国間の衝突とみた福田徳三はウィルソン主義の偽善を批判し,無産者のための「経済上のデモクラシー」を求めた.またWW1の惨劇を社会進化論の破綻とみなした内村鑑三はデモクラシーではなくキリストに救いを求める終末論的な見地に至った.やがてこうしたイデオロギー的な影響は弱くなるが,ワシントン体制を背景とした経済的なアメリカの影響は強くなり,大正デモクラシーの体制化も完結する.
(以下感想)・まずなによりも整然とした論旨の展開と,視野の広さには何度読んでも感嘆させられる.例えば歴史的,地域的な比較など(民主化に関する日清・日露戦争の比較,政党制に関するフェデラリスト伊藤博文の比較,利益誘導政治に関する革新主義と政友会の比較など).
・本書所収の各論文は60年代後半から70年代にかけて執筆されたものだが,この時代に「政治的非職業人(アマチュア)」を主体とした大正デモクラシーを評価することには相応の実践的含意があったと思われる.そもそも著者は戦後に高等教育を受けた第一世代にあたり,その著者が「戦後民主主義」を「大正デモクラシー」に重ね合わせること自体,検討されてしかるべき事柄だと思う.
・総力戦と民主化の関係についてもかなり早い段階で指摘しているのにも驚かされる.総力戦は民主主義の挫折や逸脱ではなく,その一位相であり,戦後社会の諸要素もその戦争を通して準備されたという主張は90年代になって広く承認されるようになった.注目すべきは,この議論をリードした山之内靖がこうした理解を欠いた研究の代表として本書を批判したことである(『総力戦と現代化』).たしかに著者は戦後民主主義大正デモクラシーの復活として評価していたが(pp.41-42),他方で昭和前期の運動や体制を大正デモクラシーの延長で捉えているし(p.41),さらには戦後の民主化を日中・日米戦争の必然としても位置づけている(p.18).本書は様々な示唆に充ちており,それを貧しいと感じるとしたら叙述ではなく読み方に問題があると思う.