『美味しんぼ』ドラマ化

正月にドラマが放送される『美味しんぼ』の海原雄山役が松平健という話を知り,ものすごく気になってます.年来のファンとして.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061127-00000031-sanspo-ent
それはともかく,『美味しんぼ』は一方で「美味しいものは誰が食べても美味しいものであり,食を通して不和や葛藤は調停され,相互理解がすすむ」みたいな一種の美食印籠観があるのですが,他方で「それぞれの食事はそれぞれの文化的背景に根ざしたものであり,誰もがつねに美味しいものとして受け容れるわけではないのだから,自文化の食事を他者ににおしつけたり,それを否定したりするのはよくない」という多文化主義的な発想もあって,作中内的な緊張がそこに認められれるような気がします.前者を物語の文法(練達の原作者による長寿連載マンガやドラマにありがちな),後者を現実の作法(原作者の海外生活・取材を通した経験,さらには戦後民主主義的な信念に基づく)といって理解することは可能でしょうが,それにしても両者がどのような関係になっているのか,気になるところです.
そんなことが気になるのも,こんあ事情があるから.時々日本にいる友人などから「この街は食事が美味しいでしょう?」と聞かれるんですが,味気ない回答で申し訳ないのだけど,それは「予算次第」というのが率直なところなんですよね.他の「先進国で移民の多い大都市」と同様,お金さえ出せばもちろんそれなりのものをいろいろ食べられるでしょう.でも,もしこの質問が「安くて美味しい店が多いか?」という意味なら,個人的には肯定できない.地元の日本人向けタウン誌の4コママンガでも,「カナダの果物はスッパ〜イ,ポテトチップスは塩っからい!!,ケーキはめちゃあまっ」というのがあって激しく同意.もう少しちゃんとしたレストランの食事の場合でも,大味なのは否定できない.結局,安心して食べられるのは中華料理.ただ,そういう結論になってしまうのは,普遍的な美的判断(形容矛盾?)としてそう言えるのか,それとも「美味しいものが食べたければ相応の金額を用意すべき」という階級格差の激しいグローバル・シティゆえなのか,あるいは自分がグルタミン酸化学調味料に弱いアジア系だからなのか,はたまた相応に年を食っていて味覚の柔軟さが失われてしまったせいなのか,そのいずれなのかは分からないのだけど,とにかくそんなわけで上述の『美味しんぼ』の内的緊張が気になっている次第.

美味しんぼ (96) (ビッグコミックス)

美味しんぼ (96) (ビッグコミックス)