1930年代について

 現在の視点からすると,謀略と傀儡(満州事変),負けはしなくても勝つこともないいくさ(日中戦争),じり貧よりよりは一か八か(太平洋戦争)といった無茶をどうして当時の政治指導者や国民が選んだのか不思議に思うところだが,これまでの歴史研究の蓄積はこれらの謎について一定の解答を与えてくれていて,その端くれにいるものとしては,史料から受け取るリアリティ,研究史の重み,そして過去に対する謙虚さなどから,これらの説明に少なからず納得してはいるのだけれど,他方で研究史上の言説が現代において別のかたちで流用される可能性(過去の対する免罪として利用されるならまだしも,現代における「再現」の口実として流用されること)を思うとき過去に対する批判とそこから教訓を導き出す必要性を痛切に感じる.