カナディアン号の旅

senzan2007-05-22

 一部の方の反応がよかったので、大陸横断鉄道の旅についてもう少し書いてみます。

・毎朝起きるのが早くなる旅
 世界で二番目に広い国、カナダにはタイム・ゾーンが6つあります。VIA鉄道でトロントからバンクーバーまで移動すると、そのうち4つのゾーンを通過します。このため、飛行機の移動だと目的地の空港に着いたときに一度だけ時計の針を変えれば済むところが、鉄道の旅では毎朝一番にこの作業をするのが三日間続きました。また、東から西に進む場合は毎日1時間ずつ遅くなる計算なので、あら不思議、自然と朝型の生活が身に付きます。そうでなくても、鉄道で長距離を移動しようという乗客の大半は時間に余裕のあるリタイア組なので、みなさん早起きです。最終日の四日目の朝ともなると、6時過ぎには展望デッキに集合しておしゃべりに花が咲きました。
 
・機関車4台で牽引の大編成
 今回の列車の編成はわりと大がかりのものだったようで、先頭に機関車が4台、荷物車1台、エコノミークラス3両、その後にファーストクラス(寝台車)が25両くらい続いていました。同時期に西から東へ乗ってきたひとの話を聞くと、この3分の1程度の編成だったらしいので、予約状況によって柔軟に対応しているようです。また、3、4両に一台の割合で展望デッキ付きの車両が配置されていて、全天を仰いで満点の星空やそそりたつ山並みを見ることができる他、おしゃべりの場としても乗客を集めていました。さらに同様の割合で食堂車と売店もあって、ディナーはサーモンやビーフなど4皿が用意されており、一応毎晩違ったものが食べられるようになっていました。もっともなかなかに値が張るので、自分の場合、一夜だけサーモンを食べた他は、事前持ち込みのパンと水で済ませましたが。

・財布の紐もゆるむ停車駅
 横断鉄道の旅では途中主要4駅(ウィニペグ、サスカトゥーン、エドモントン、ジャスパー)に停車した他に、ときどき小さな駅にも停車して機関車に給油をしていました(画像の給油車がそれです)。主要駅のうちサスカトゥーンは深夜着だったので降りなかったのですが、ウィニペグとジャスパーの駅は街中にあるので停車中に食糧を買い出しにいくことができました。エドモントンではダウンタウンをはるかに眺める郊外の平原に停車したので外の空気を吸っておしまい、他の小さな駅では乗客目当てにバザーを開いていた地元民のお店をのぞいたりしました。バザーの売り物はキルトや木彫品といった素朴というか垢抜けない土産物ばかりでしたが、何時間も閉じこめられた後の開放感のせいか、はたまた年配者の団体旅行の習性なんでしょうか、みなさん財布の紐がずいぶん緩くなっていました。かくゆう自分も、屋台のホットドックをついつい買い食いしてしまいましたが。いずれの駅も1時間弱は停車していました。

・ファーストとエコノミーの格差
 横断鉄道には寝台やシャワーのついたファーストクラスと、それのないエコノミークラスの二等級の区別があって、当然自分は後者に乗りました。乗車の目的がバケーションではなく、半分くらいは調査のつもりだったので扱いの差は気にならなかったのですが、一つだけそれはないだろうと思ったことがあります。ベッドがない、シャワーがないのは折り込み済みですし、食事はファーストと同じもの、ただテーブルに花があるかないかの違いがあるだけで、そのへんは問題ではありません。問題は、これからロッキー山脈を抜けようとする直前のジャスパー駅ではしご車がファーストクラスの展望デッキの窓を順に洗浄して回ったのに、エコノミーのそれは無視して終了したことです。鳥のフンなど付着していて、これが結構写真撮影の妨げになっていただけに、エコノミークラスの客の憤慨と落胆といったらそれはもう。お陰でエコノミー客の連帯感が一層強まりました。

世界の車窓から
 さすがに三日間「世界の車窓から」状態ではまずいだろうと当初は思っていたので、収集した資料を全部パソコンでインデックス化するという目標を掲げて乗車しました。そのためにエコノミー車両には1つしかない電源も、早めに列に並んだ甲斐あって(エコノミーは座席指定なし)、確保することができました。そんなわけで当初は張り切って仕事をしていたんですが、旅も半ばをすぎると仲良くなった同乗者とおしゃべりしたり、やれクマだ、やれエルクだと言っては、仕事が手につかなくなりました。他方でプレイリーの揚穀機、アルバータの採油施設、中国系労働者が施設したフレイザー川沿いの鉄道など、カナダ史必須のアイテムは一通り写真におさめたので、今後の授業の際には活用したいと思います。