ブッシュのウィルソン主義

かつて日本人はアルカイダのような狂信者だった。そう言い放ったのは、アメリカのブッシュ大統領である。先月、カンザスで開かれた海外派兵退役軍人全国大会でブッシュ大統領は、戦前の日本が国家神道軍国主義に支配された社会であったにもかかわらず、その後、アメリカとの戦争と占領を経て民主主義と繁栄を享受する社会に生まれ変わった故事をひいて、イラクアフガニスタンへのアメリカの関与を正当化する演説を行った。この演説にはブッシュ大統領のウィルソン主義的な歴史観が端的に表れている。その意味を三点に分けて述べてみたい。

民主主義の兵器廠
 ブッシュ大統領はこの演説の末尾で「民主主義の兵器廠」という句を使っている。これは1940年の年末にローズヴェルト大統領が炉辺談話で使った有名な言葉であり、その発想を踏襲したものである。

民主主義の兵器廠にある最強の武器は、造物主によって人間の心に書き込まれた自由を求める欲求である。我々が理想に忠実である限り、我々はイラクアフガニスタンの過激主義者に打ち克つだろう。我々は中東のど真ん中に彼らが機能する民主主義を起ち上げることを助けるだろう。そして辛い仕事を終え、今日の批判が記憶から遠のいたそのとき、自由の大義はより力強いものとなり、枢要な地域はより輝かしく、そうしてアメリカ人はもっと安全になるだろう。ありがとう。神のご加護を。(拍手)
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/08/20070822-3.html

ここにはウィルソン主義の考え方がよく現れている。それは、第一にアメリカの理想は自由と民主義であり、第二にアメリカはその価値を世界に普及するべきであり、第三にそうすることによって世界とアメリカはより安全となる、という思想である。これは、「現実主義的な孤立主義」に対する「リベラルな国際主義」とよく似てはいるが、微妙に異なる。ウィルソン主義は、リベラルだけでなくネオコンのような立場も含むし、国際主義よりはもっとユニラテラルな傾向が強い。ブッシュ大統領にとって日本や韓国の戦後史は、こうしたアメリカのウィルソン主義外交を正当化する成功例のように思われたのである。「民主主義の兵器廠」というローズヴェルトの言葉はブッシュのそうした発想を象徴している。

冷戦史の見直し
この演説はまた冷戦史の見直しも含意している。冷戦史は基本的に戦後の一時期に対する見方であり、それ以上のものではない。第二次大戦中の米ソは同盟関係にあったし、冷戦は90年代初頭に終わっているからである。けれども、ウィルソン主義は、より長く、遅くとも第一次大戦から、冷戦後の現在までのアメリカ外交の歴史を見通すようなパースペクティヴを提供してくれる。この見方にしたがえば、第二次大戦後の日独の民主化はもちろん、80年代以降の韓国やフィリピン、90年代の東欧の民主化もまた、アメリカが一貫して民主主義を掲げて国際的に関与した結果とされる。
この視角はまた、冷戦史に代わる見方として、いろいろな立場からも採用されている。冷戦史の文脈では米ソの支援を受けて頻発した地域紛争は「長い平和」の周辺で起きたマイナーな出来事として扱われることが多いが、ウィルソン主義の見方によれば、それこそがアメリカの介入主義がうみだした20世紀史の本流として位置づけられることになる。また冷戦史ではアメリカ政府の反共イデオロギーがヴェトナムへの介入を泥沼化させたと批判されるが、ウィルソン主義的にはアメリカによる介入の過剰ではなく、過少こそが反省されるべきだ、ということになる。ブッシュ大統領は言っている。

あなたの立場が論争のどちら側であろうと、ヴェトナムの遺産に関して間違いないなく言えることが一つある。それはアメリカが撤退した代償として何百万もの無実のひとたちが塗炭の苦しみを、「ボート・ピープル」や「再教育キャンプ」「キリング・フィールド」のような新しい語彙によって言い表される苦しみを味わったことである。
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/08/20070822-3.html


日本のディレンマ
 ウィルソン主義は日本にとってもある種のディレンマを突きつける。ここ数ヶ月、北朝鮮の核政策に対するブッシュ政権の態度は軟化している。中台関係についても、中国の軍事的な台頭にもかかわらず、ブッシュ政権は台湾への武器売却に消極的になり、独立をめぐる住民投票に批判的な姿勢をとっている。ブッシュ政権は中東に関しては理想主義的な関与を主張しているが、東アジアに対しては現実主義的な外交に舵を切ったということなのだろうか。もしそうなら、東アジアへのアメリカの関与を必要とする日本にとって、これは望ましいシナリオではない。けれども、おそらく近い将来にアメリカがウィルソン主義的な価値観を放棄するようなことはないだろう。移民国家のアメリカにはイデオロギーや理想に代わる国民統合のための基礎がないからである。
ブッシュ大統領の先日の演説は日本史の見方としてたしかに乱暴である。けれども、アメリカ史の見方としてはそれなりに有力なものである。戦前の日本人を狂信者とみなし、東京裁判を文明の裁きとみるようなアメリカであっても、日本には他に頼れる国がない。ブッシュ大統領の演説はそうした日本のディレンマをあらためて浮き彫りにしている。