埼京線の東と西

 このへんは埼京線を軸として東部と西部とで地理的な対照がみられます。埼京線東北新幹線の建設にともなって作られた東北本線のバイパスで、『鉄道要覧』上では今でも東北本線として扱われているようです。
 埼京線を南北の軸として東側は水はけのよい大宮台地・尾根筋で、西側は台地下の低湿地になります。東側は中山道と浦和を中心としてわりあい古くから宅地化がすすみ、昭和初期には東京から作家や画家たちが移り住んできていました。日本浪漫派の神保光太郎、大杉栄の肖像をかいた林倭衛、『街道をゆく』の須田剋太などです。別所沼周辺にはいまも画材工房や、立原道造が設計したヒアシンスハウスがあったりして、往事をしのぶことができます。公園内にはメキシコから贈られた風の神の像などがあって、なんとなくモダンな雰囲気が漂っています。
 これに対して埼京線の西側は、むかしは水田の広がる農村地で、東京のベッドタウン化が進んだ現在でも用水路が縦横無尽に走っています。ちょっと古い家の庭先にはまず確実にお稲荷さんが祀られていて、かつてその家が田の神を屋敷神としていた農家だったことをうかがわせます。今でも昔の名残かウナギやドジョウを食べさせる店が少なくなく、宅地のスプロール化で残されたところどこに水田が点在しています。
 埼京線が東西を対照する軸となっているのは、たぶん新幹線が計画された1960年代末の時点で、すでにあった住宅地を避けてその外縁部を通るように建設されたからでしょう。結果として鉄道の高架が、二種類の民俗的な想像力の境界にもなっているのは面白い現象です。