ドラえもんの思想

先日梅田本(というか、それが予言する現実)に対してわりと批判的なことを書いたけど、そういう価値観の個人的な来歴を辿ってみると、小学校時代のドラえもん体験だったりする。特に初期のドラえもん映画は政治的なメッセージ性が高く、核戦争(海底鬼岩城)や魔女狩り(魔界大冒険)、独裁制や管理社会(宇宙小戦争)、意志をもったテクノロジーの暴走(鉄人兵団)のようなテーマの問題性を子どもにインプリントする効果がったように思う。冷戦が終わり、海底鬼岩城が描いたようなMAD性(敵の攻撃に対して堪え難いほどの反撃を与える用意を見せることで、敵の攻撃を思いとどまらせる、という状態を相互に作ること。言い換えると、双方の国民を互いに人質にとって睨み合う状態)は弱くなったとはいえ、昔以上に核兵器は拡散し、世界の半分がグーグルの中にあるような状況で、今の小学生はドラえもんをどんなふうに見ているのだろうか*1。今月はTDRドラえもんの映画を子どもに約束していたのだけど、いずれも守れそうになく、後ろめたい次第。

映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城 [DVD]

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*1:キューバ危機当時小学生だったW先生は、校庭の鉄棒のところで東の空を眺めながら、ぴかっと光ったら次の瞬間自分は死んでしまうんだ、と思ったそうだ。この日記のタイトルも実はキューバ危機にあたったケネディ政権の言葉に由来する。