斉藤眞『アメリカ外交の論理と現実』

 著者はアメリカ研究を学問として確立し,認知させた第一人者で,昨年文化勲章も受章している.本書が出版されたのは40年以上前であるが,そのアメリカ外交の把握の仕方(例えば「信条の帝国」p.65)は現在でも通用しうるし,またその特質をアメリカ的風土から理解するアプローチ(後述)も今日なお色褪せない.そのエッセンスは著者自身によって次のように要約されている(アマゾンへのリンクは同著者の他書).

アメリカとは何か (平凡社ライブラリー (89))

アメリカとは何か (平凡社ライブラリー (89))

大西洋によるヨーロッパとの隔絶・アメリカ大陸におけるフロンティアの存在・政治的信条に基く建国と国内統合という歴史的状況が,アメリカ外交を,いわゆる孤立主義・膨脹主義・信条外交という形で規定してきた.そのように規定されてきたアメリカ外交の伝統が,その地理的・歴史的限界を十分に自覚せずして,第二次大戦後の国際政治史的状況で,自己展開を行おうとする時,そのフロンティは幻のフロンティアたらざるをえない.逆にいえば,今日のアメリカ外交が問われているのは,環境と自己とについての冷静な状況認識であり,その認識に基づく自己転換であろう.それは冷戦の論理から平和的共存への論理への転換にとどまらず,より深い次元におけるアメリカ外交の論理構造それ自体の全面的展開でなければならない.そのことに,アメリカの運命が,さらには世界史の運命が多くかかっているといっても過言ではないであろう.その点,ケネディ政権はアメリカ外交の正に歴史的岐路に立っているといってよい(pp.253-254).

 ここで要約されているように,著者はアメリカ外交を「孤立主義」「膨脹主義」「信条外交」として特徴付けている.これを「ユニラテラリズム」「帝国」「ウィルソン主義」と言い換えれば,著者の議論は今日通用しているものと変わらない.以下ではこれら三つの特徴を論じた三論文を初出順に見てみたい(ただし,いずれも論壇誌に掲載されたものであり狭義の学術論文ではない).
 まず「信条外交」を論じた「信条による統合と外交」(1958年)で著者は,地理的,人種的,文化的一体性を欠いたアメリカでは政治体制への忠誠は自明ではなく,政治的信条に統合化の契機を求めざるをえなかったことを指摘する.その信条の内容が自由主義であるが,これが「思想」ではなく「信条」と呼ばれるのは,イギリスにおける絶対主義のような対抗物がなく,それが当たり前の前提であったからである.ルイス・ハーツのいうように,アメリカでは封建制が歴史的になかったために(”born free”),自由主義それ自体が伝統であった.けれども,アメリカ人としての一体感はけっして自然なものではなく(あるいはprimordialというべきか),このような自由主義の信条によって構築されたものであるがゆえに,それ以外の思想への不寛容は苛烈であった(例えばウィルソン政権下の防諜法,サッコ・ヴァンゼッティ事件,マッカーシズム).一体感を担保するものが信条しかないために,それが絶対化されたからである(かつてチャーチルはイギリス共産党はイギリス人によって構成されているから恐れるものではないと述べたが,アメリカの政治家にはそうは言えなかった).国内においてコンフォーミズムを招いた信条の優越は,外交においてその道徳化を招く.こうしてバランス・オブ・パワーの問題はウェイ・オブ・ライフの問題に還元されてしまう.道徳化されているがゆえに外交は現実的な妥協(ないしは寛容)が難しい.
 次に「孤立主義」を論じた「対外認識の幻想と現実」(1960年)では,ヨーロッパに対するアメリカの異質性との関連で,モンロー・ドクトリン(1832年)とトルーマン・ドクトリン(1947年)との共通性が指摘されている.モンロー・ドクトリンは,君主制のヨーロッパと共和制のアメリカという体制的な相違を前提としつつ,なお弱小国であったアメリカが自国の安全を守る方針として当初表明されたものである.そこでは,アメリカに対するヨーロッパによる干渉への反対と,ヨーロッパに対するアメリカによる不干渉の表明とが含まれていた.これが孤立主義の意味である.これに対してトルーマン・ドクトリンはこうした「モンロー主義の論理的延長であり,地域的限定をとりはらった,世界大のモンロー主義といえ」(p.62)る.トルーマン・ドクトリンは,モンロー・ドクトリンのような西半球に限定するような地域性はないが,「アメリカ的体制・アメリカ的生活様式に対立する体制・生活様式の排除という考え方それ自体はモンロー主義とかわっていない」(p.62)からである. この点で,アメリカの外交はなお孤立主義的である.
 最後に「膨脹主義」を論じた「フロンティア『外交』」(1961年)では,大西洋という無料の安全保障(実際にはイギリス海軍)に守られ,西部にフロンティアをもったアメリカにおける(ヨーロッパ的な意味での)外交の不在,ないしはフロンティア的な外交の存在が指摘されている.フロンティア的外交とは,力関係を意識せずに一方的に関与することができる,したがって一種の運命とさえ観念される膨脹主義を含意する.けれども,フレデリックターナーによって主張されたように,19世紀末になるとフロンティア・ラインは消滅する.フロンティアの消滅はアメリカ社会の発展の行き詰まりを意識させた.これに対する一つの対応がポピュリズム社会主義その他の改革運動であり,もう一つが海外へ新にフロンティアを求める帝国主義である(A.マハンやT.ローズヴェルト).かくして20世紀のフロンティア的外交は,門戸開放政策に象徴されるように,領土の拡大ではなく市場の拡大を通してアメリカの膨脹を進めた.ところで,1960年に当選したケネディ大統領のスローガンは「新しいフロンティア」であった.これは裏返せば,古いフロンティアの消滅を意味する.スプートニク・ショックとそれが証明するソ連ICBMの存在,ニクソン副大統領の訪問をきっかけとするヴェネズエラでの反米デモ,日本での安保闘争などは,他者を意識する必要のないフロンティアが幻想であることをアメリカに突きつけた.したがってケネディ政権の「新しいフロンティア」も,信条のフロンティア的外交ではなく,こうした現実を踏まえたパワー・ポリティクスの宣言として理解するべきである.「タンクの代わりにトラクターを,爆撃機の代わりにブルドーザーを,戦術家の代わりに技術者を」という訴えも,マッカーサー大使からライシャワー大使への転換も,いずれも「力の外交」の観点から計算され,要請されたものと理解すべきである.
 (以下感想)・まず何よりもある種の先見性に驚かされる.ヴェトナム戦争以前,したがって修正主義史学が登場する以前にそれに通じる洞察がふんだんに示されている.清水知久『アメリカ帝国』(1968年)が「実に多くを学んだ」と述べるゆえんである.また,これと関連して,ニクソン/キッシンジャー的なリアリズムを先取りしている点も興味深い.著者は,アメリカの軍事的,経済的,ソフト・パワー的な弱体化という現実を直視した上で,多元的な世界の存在を前提としたパワー・ポリティクスを肯定的に評価している.
・他方で本書に時代的な限界があることも否めない.ケネディ政権のヴェトナム介入は「新しいフロンティア」が結果的に旧来のフロンティア的外交と大差なかったことを明らかにしている.また,「タンクの代わりにトラクターを」的な開発援助やライシャワーの起用にみられるある種の広報外交も,国家間のパワーのバランシングを目指すリアリズムというよりは,外国の政府ではなく国民(というか人民)に直接関わっていこうとするフロンティア的外交の現れとして理解するべきではないだろうか.
・最後にフランクリン・ローズヴェルト(FDR)とハリー・トルーマンの評価に関して.前者に比べて後者を悪く評価しすぎではないだろうか.たしかに冷戦に直接関わったのはトルーマンだが,著者の指摘する「膨脹主義」「信条外交」などはFDRのレンドリース・プログラムや大西洋憲章などに見ることもできるだろう.FDRが連合国の協調を重視し,ユニラテラルな行動を控えたのは事実だが,著者がトルーマン主義に指摘する「隔離=『封じ込め』は干渉=「巻き返し」にまで進」むという部分はFDRの隔離演説(日本を感染症に喩え国際社会からの隔離を訴えた)や無条件降伏方式(つまりは戦後における体制改造を含意)にも見ることができるのではないだろうか.FDRとトルーマンが異なるのは当然であるが,相違を過大評価しているように思う.個人的には,著者(1921年生)の好意的なFDR評価(それは日米戦争評価にも通じる)のよってきたるゆえんに非常に興味をもった.