清水知久『アメリカ帝国』

 本書は日本における「アメリカ=帝国」論の先駆的にして代表的な研究として有名である(1968年刊行).本書はアメリカ史の全体を帝国の形成,発展,崩壊の歴史として叙述することを企図して書かれた.その目的は「ヴェトナム侵略を原点としてアメリカ外交の基調とその特質を提示すること」((はしがき)p.1)にある.本書の第一部「形成期のアメリカ外交」,第二部「アメリカ外交の基調」,第三部「『アジア・ドクトリン 』の形成と破綻」はそれぞれ上記の過程に対応している.以下では「発展」を叙述した第二部について触れた上で,2,3の感想を述べたい.
 まず著者は冒頭で「帝国」の概念を次のように定義している.

 著者における帝国とは,世界史における西ヨーロッパ的国際社会の成立以降の,ヨーロッパ諸国による他民族・他地域(アジア,アフリカ,ラテン・アメリカとそこに住む諸民族)に対する資本主義的な支配・抑圧の体系を意味する.そしていささか大胆に提示すれば,世界史はその成立以来,すなわちほぼ16世紀の開幕以来,ヨーロッパ人の諸帝国の形成と拡大の歴史であり,いわゆる帝国主義の時代とは,そのような帝国による支配の体系が真の意味で全世界的な規模で成立した時期のことを指すといえよう(p.5).

 その上で第二部では,独立と建国に立ち会ったワシントンから冷戦の始まりに立ち会ったトルーマンまでの重要な外交言説を引用しつつ,アメリカ帝国の発展の過程を描いている.その内容は,ワシントンの「告別演説」(1776年.通商の重視とヨーロッパからの政治的な孤立の勧め),「モンロー・ドクトリン」(1823年.欧米間の体制的な相違を前提とした相互不干渉の宣言),ジョン・ヘイの「門戸開放宣言」(1899年.中国市場が列強によって排他的に専有されることへの反対.1900年.中国の領土的な一体性確保の主張),「モンロー・ドクトリンの(T.)ローズヴェルト・コロラリー」(1904年.西半球におけるアメリカの干渉を「国際警察力」として正当化),ウィルソンの「14ヶ条」(1918年.秘密外交,植民地主義,勢力均衡への反対),フランクリン・ローズヴェルトの「大西洋憲章」(1941年.民族自決自由貿易などを(後の)連合国の共通理念として準備),そして「トルーマン・ドクトリン」(1947年.二つの生活様式の対立として米ソの相違の本質化)などである.ここで重要なのは,これらの170年の期間にわたる言説におけるある種の一貫性(「一本の線」「基調」)の指摘である.「その線とは,『自由のための帝国』としてのアメリカ合衆国およびアメリカ帝国主義の論理といいかえることもできよう」((はしがき)p.1).この観点から著者は,「モンロー・ドクトリン」に相互不干渉ではなく「アメリカ大陸における行動の自由」(p.90)を,「門戸開放宣言」に中国の保護ではなく「経済的な併合」(p.116)を,「14ヶ条」にデモクラシーではなく「世界大的な『自由のための帝国』建設の計画」(p.132)を,見るわけである.
 (以下感想)・まず注目したいのは膨脹の論理の一貫性の強調である.通史的な叙述であるからある種の連続性をもって語られるのは当然であるが,現在の標準的な通史なら少なくとも「門戸開放宣言」の前後(領土的な膨脹から市場的な膨脹へ)とFDRの前後(西半球内での介入からグローバルな介入へ)にある歴史的な不連続(ないしは歴史的な重層)を指摘するはずである.このような一貫性の強調は,「帝国」を資本主義世界の拡大と関連づけて定義していることと関わるように思われる.
・また,上記の「帝国」定義と関連して,著者は実在する社会主義を「帝国」の外部とみなしている点にも注目したい(pp.5-6).この結果,著者の帝国批判にはある種の楽観性が認められる.この点に注目するのは,なにも今さら社会主義の幻想性を言いたいためではなく,現在における帝国批判を分節化することと実践することの難しさを言いたいためである.「マルチチュード」にはかつての「社会主義」や「労働階級」のような分かりやすさ,見やすさがない.
・最後に,カナダが門戸開放政策(領土ではなく市場を通した膨脹)のテスト・ケースであったという指摘は興味ぶかかった.アメリカはカナダに対して約100年にわたって併合の要求をしてきたが,1880年代以降は市場を通した「平和裡の征服」に転換した.このカナダのケースが後の門戸開放政策の有効性を立証したと著者は主張する.アメリカ帝国史におけるカナダの意義を指摘したものとして面白いと思う.