池井優『駐日アメリカ大使』(2001年)

 著者の専門は日本外交史で,この分野の通史が書ける数少ない歴史家として知られる.本書の始まりはライシャワー大使の役割を検討した30年前の論文に遡るという.以来,折に触れ研究を積み重ねてきた成果が,R.マーフィーからH.ベーカーにいたる戦後の13人の大使の肖像を描いた本書である.以下では関心の範囲でその内容に触れた上で,英・中大使とも比較しつついくつか感想を述べたい.

駐日アメリカ大使 (文春新書)

駐日アメリカ大使 (文春新書)

 本書は13章立てで,1章で1大使を論じる構成をとっている.ここではサンフランシスコ講和条約によって外交主権が回復した1952年から本書出版時点(2001年)までの駐日アメリカ大使について,その社会的背景に焦点をしぼって整理してみたい.13人の駐日大使のうち職業外交官は6人,政治家4人,財界人2人,学者1人であり,出身校も多様である(マッカーサーとインガソルがイェール大で同じくらいか).これに対して日本の駐米大使は16人中15人が職業外交官で(例外は新木栄吉(日銀総裁),出身校も東大13人,一橋2人,京大1人とほぼ一様である.こうした日米の相違は,政治任用かキャリア制度かの違いによる.実際,「最近六人の駐米大使は直近の一人を除いて前職がすべて外務事務次官」(p.222)である.とはいえ,駐日大使を時系列で見てみると,70年代初めまでの5人はキャリア外交官出身であり,例外はライシャワー(ハーバード大学教授)だけであるが,その彼も日本史が専門という意味ではまったくの「アマチュア」というわけではない.この傾向が変わるのは70年代以降であり,メーカーの経営者,上院院内総務,副大統領,下院議長などの政財界の有力者が就任するようになった.
(以下感想)
・以下ではアメリカの駐英大使と駐中大使とも比較しつつ,感想を述べたい.たしかに日本の駐米大使と比べるとアメリカの駐日大使は社会的背景が多様であり,かならずしも外交のプロが任命されているわけではない,といえるかもしれない.しかし,アメリカの駐英大使と比べると,駐日大使ははるかにプロフェッショナルな人選である.本書と同じ時期の駐英大使は15人で,そのうちキャリア外交官出身はR.サイツ1人だけである(というか近代史上初の外交官出身の駐英大使が彼である).その他は銀行家,マスコミ関係者,大学学長,大口献金者などである.閣僚経験者や海軍提督,大統領次席補佐官なども選ばれているが,駐日大使になった上院院内総務 (M.マンスフィールドとH.ベーカー)や下院議長(T.フォーリー)には政治経験の点で及ばない.駐日大使と比べると駐英大使は象徴的な存在のように見える.では,駐中大使はどうか.中国の場合,アメリカと国交が回復してからまだ30年たっていないため,2001年までに大使になったのは7人だけである.けれども,その傾向は明白である.すなわち,中国通であることが大使の要件となっている.国交回復後最初に駐中大使になったL.ウッドコックを除いて(彼は全国労組のリーダーだった),後の6人はアジア通のキャリア外交官やキッシンジャーの補佐官,CIA情報部員,太平洋軍司令官などが就任している.うち二人は宣教師の子として中国で生まれている(A.ハンメルとJ.ロイ).駐英大使はもちろん,駐日大使と比べても,駐中大使というのがアメリカ外交において実際的な役割を果たしているであろうことが了解される.見方を変える,米中間よりも米日間,米日間よりも米英間の方が政府間関係だけに依存しない重層的な関係によって支えられている,ということなのだろう(だから大使が象徴的な存在でも構わない).
・本書の冒頭で著者は「各種コミュニケーション手段の発達した今日,大使の役割はかつてと比べて低下してしまった.文字通り特命全権大使として,相手国の情勢判断,政策の施行を任されていた時代と異なり,首脳会談でのトップ同士の話し合いによって,時には大使は頭越しも余儀なくされる」(pp.7-8)と述べている.主権国家間の関係を基本とするのが19世紀の外交であったとするならば,21世紀の外交は,それを帝国と呼ぶかグローバル・ガバナンスと呼ぶか違いはあるにしても,主権国家間以外の多層的な関係(企業やNGO,大学などの)も含んだネットワークを基本としている.思うに,この両者に挟まれた20世紀の外交は,政府が他国の政府だけを相手とするのではなく,他国の人民にも直接働きかけるような関係を基本としていた,といえるのではないだろうか.例えば海外援助や広報外交のように.この意味で,本書の元になった論文で著者がライシャワーの役割を「(日本人が)大使を通じてアメリカの実状をよりよく認識し得たことに尽きる」と評価しているのは炯眼だと思う.