『思想』丸山真男特集(2006.8)

各論者の最後の一文がそれぞれ印象的.内容の方も没後10年たって丸山論2.0みたいな段階になってきたのかな,と.
「こうしたことを口にするのは丸山・スペシャリスト,ウェーバースペシャリストでない人間の無責任な方言だといった批判が早速来そうな気がするが,そうなればこの小論は十分その役割を果たしたことになる」(佐々木毅
丸山真男没後,八月一五日を迎える毎に政治史家としての私が想うのは,こうした事柄である」(酒井哲哉)
「過去の思想から,支配的な伝統とされるものとは異なる,もう一つのありえた伝統をくみだし,それを現代に生かそうとする試み.そうした作業の現場として,『神皇正統記』というテクストは,丸山の思想の営みに,最後まで生きて動きつづけたのであった」(刈部直)
「丸山を読むという行為は,かくして読み手の政治性を鍛える絶好のチャンスとなるのだ」(孫歌)
「実は,それは『日本資本主義論争』以来,丸山真男自身が考えていたことである.しかし,それについて論じるのは,別の機会に譲る」(柄谷行人
「二〇世紀のある詩人が言ったように,歴史のなかをわれわれは後ずさりしながら未来に入っていくのだから」(三宅芳久)
「考えてみれば,救世主イエスも,弟子たちの,裏切りを孕んだ愛情によって,その使命をまっとうしたのではないか」(大澤真幸
「丸山の魅力的な民主制論は,同時に,丸山が切り捨てた制度論の必要性を浮き彫りにしていると言えるであろう.と同時に,その制度論には丸山の言う『運動』の持つダイナミズムが要請されるであろう」(高見勝利)
「しかし丸山はなお,先進国の革命において,マルクス主義がどの程度有効かを見定めたかったに違いない.そのような関心のあり方が,通俗的な『近代主義』者とは異なる方向に丸山を導いていったのである」(米原謙)
「その人を国民主義者に位置づける新たな物語を書くことは,彼の栄光を増すゆえんであろうか」(都筑勉)