ダンの店はブロードウェイとウォータールー交差点

 自転車のブレーキの具合が悪かったのでダンの店に行って直してもらう。ものの3秒もかからなかった。で、「はい、10ドル」とお約束の高額請求を受けてから、「修理代はいらんから、宣伝しといて」と言われたので、ここに宣伝しておく。ダンの店はいい店だ。
 ところで、こうあっさりと直ってしまうのなら、そもそも自分で修理すればよかったのでは、と疑問に思われる御仁もおられるだろうが、それはそれ後知恵というもので、「自分でもできるはず」と思えば自力で直してみようと思って取り組んで、実際に直してしまえることもあるだろうけど、「できるかどうか分からない」という状態ではそもそもやる気が起きないし、かりにやってみてもダメ元感が強いので途中で諦めてしまう。後者の場合、できなくてもできないことの心理的合理化がしやすいが、前者の場合、できないのはどこか間違っているところがあるからでそれを改めればできるようになる、という方向に発想する。とまあ、そんな話を昔柄谷行人が原爆開発のメタ知識に関してしてたっけ。現実問題、世の中には答えが正しいか、間違っているか以前にそもそも答えがあるのか、ないのか自体分からないような問いばっかりなわけで(答えがあることが知られている問いももちろんあるだろうけど)、したがって、その問いに取り組むだけ無駄かもしれないという不安が常につきまとうわけだけど(答えがないような種類の問いを「問い」といってよいかどうかは横に置くとして)、そうしたときに何事をやり続けられるかどうかは、メタ知識がないならば、やぱし内的な確信しかないよな、と思う次第。内側にある内的な確信と外側にあるメタ知識が通底している、なんてあれな話はいたしませんが。