ある家族の歴史

 昨晩は大家さんからディナーに招待されて、美味しいハンガリー料理をいただくとともに遅くまで話し込んでしまいました。とても興味深い話も聞けたので、ここにちょっと書き留めておきます。
 大家さんはご夫婦の他に20歳の一人息子との3人暮らしです。旦那さんはノルウェー系の二世で、母方はアイルランドからの移民、奥さんはハンガリー系のユダヤ人で、息子さんは韓国系の養子です。奥さんはハンガリーで生まれました。1907年生まれの彼女の父親は青年時代には大恐慌で仕事がなく、ひどく貧乏をしたそうです。その後小さなビジネスを始めましたが、ほどなくして第二次大戦が勃発し、ナチスによって強制収容所に連行されてしまいました。戦争が終わりホロコーストを生き延びはしたものの、共産党支配下で多少の財産があったことが裏目にでて今度は投獄されてしまいます。その後、1956年のハンガリー革命がソ連の軍事侵攻によって挫折に終わると、銃声の鳴りやまいなか9歳になる娘を連れて街を脱出することにしました。その娘、すなわち大家の奥さんは、真夜中に身をかがめて橋を渡ったときのことを今も鮮明に覚えているといいます。一家はオーストリアの亡命キャンプでカナダへの難民申請をし、これが受理されて大西洋を渡ることになりました。到着先の港町ハリファックスでは担当官が「ハンガリーは小麦の生産が多いから、大平原地域で農業でもしてみたら?」となんとなく判断して、その大半が高等教育を受けた難民たちをウィニペグへ送ることに決めてしまいます。列車は途中モントリオールに停車しました。もともとビジネスをしていた彼女の父親はこの街の景色をみてここで再出発をすることを希望します。しかし、政府が決めたことに逆らってよいものか、彼は逡巡しました。一度決まった以上変更は認められないかもしれませんし、勝手に列車から降りたりしたら背後から撃ち殺されてしまうかもしれません。恐る恐る車掌に希望を打ち明けてみると、その答えは予想外のものでした。「どうぞ、好きなところで降りて、好きなように生活していいんですよ。ここはカナダです」。別れ際、彼女の父親は車掌の頬に何度もキスをしたそうです。
 第二次大戦以後のカナダは大きな戦争や革命、動乱とは縁がなく、また移民国家ということもあって、国民全体が共有するような記憶があまりありません。日本やヨーロッパのような旧大陸諸国はもとより、合衆国と比べても、カナダは「歴史」のない国にみえるかもしれません。けれども、こうした奥さんの家族の話を聞くにつけ、「歴史」がないということの恵み、幸いを考えてしまいます。それはまた戦後日本に生を受けたものにもある程度あてはまることでしょう。歴史家の端くれとして、「歴史」があるように見える、あるいは「歴史」がないように見えるとはどのようなことなのか、を考えさせられる一夜でした。