歴史学とテクノロジー

以前弟が東京出張で訪ねてきたときに、情報機器をどう使って研究しているかという話になりました。彼も仕事上取材にあちこちまわることが多いので、歴史学の資料調査と似ているところがあります。それだけに情報機器の利用の仕方で彼我の差を感じました。アカデミズムの内部にいると情報機器の利用は日進月歩の感が強く、以前の研究スタイルと比べると「隔世の感」があるのですが、アカデミズムの外部からするそれこそ浮世離れした感覚で、情報化の波はまだまだ遅れているようです。

歴史学の場合、一次史料を調査・記録する方法は、「鉛筆とノート」の時代から「史料の編集・公刊」、「コピー機革命」、近年の「デジカメ小僧」、そして現在進みつつある「オンライン・アーカイブスの構築」というふうに発展してきました。図書館や公文書館におさめられている史料のうち一部のきわめての重要なものは、その教育的・市場的価値から出版されることがあります(みすず書房の現代史資料など)。けれども、評価が定まっていないものや、未開拓の分野の史料の場合はそういうわけにはいきません。そういう場合には、結局、「鉛筆とノート」という基本的には千年前と変わらない方法で史料を記録するしかありません。この点で、ここ30年で普及したコピー機による史料の複写は画期的なものでした。筆記の労力と時間を省き、オリジナルの内容と形態をほぼ正確に複写できることは、学者の負担を軽く、研究の精度を向上させました。

現在、歴史研究で定着しつつあるのが、デジタル・カメラによる史料複写とそのPDF化です。これはコピー機による複写の欠点を克服するものでした。従来のコピー機を使った調査では、金銭的なコストが馬鹿にならない、コピーした史料の保管場所も馬鹿にならない、史料の種類・状態によってはコピー機で複写させてもらえない、などの問題点がありました。デジカメによる資料調査はこうした問題に悩まされる必要がありません。たしかに高性能の情報機器(デジカメ、記録媒体、編集ソフトなど)はそれなりの値段がしますし、安定して使うにはそれなりの習熟が必要ですが、それでも相対的・長期的には安上がりです。何よりもデジカメによる資料調査は非常に効率がいいという点で、大きなアドバンテージがあります。10年ほど前にプリンストン大学歴史学の学位を取得したある先生と、この話題について話したことがあります。少し前までは文書館に月単位で滞在して、史料を鉛筆で書き写し、その中で重要なものだけを選んでコピーするというスタイルだったのが、今ではインターネットで文書館のデータベースを検索し、予約しておいた史料を数日間の滞在中に集中的に撮影して、また別の文書館に移動していく、まるでいなごのようだ、と冗談まじりに言っていました。まったく他人事ではありません。

最近では史料をデジタル化し、オンライン上で公開する動きが盛んです。日本ではアジア歴史資料センターのプロジェクトが有名ですし、アメリカではグーグルが各国の主要な大学(日本では慶応)と協力して著作権の切れた資料をインターネット上で公開するサービスが準備されています(グーグル・ライブラリー)。もはや数日であっても遠方の図書館・文書館を訪ねなくてよい、という日が来るのも近いかもしれません。

もちろん今後も資料の批判や校訂、解釈には人間の関与が必要です。コピー機革命以後も、鉛筆とノートはずっと使われ続けています。結局、生きられた歴史(存在としての歴史)と書かれた歴史(認識としての歴史)は、密接につながりつつも、別物だからです。歴史家はこれまで以上に乖離した白兵戦と空中戦の両方を一人でこなしていかなくてはいけないのでしょう。