浦和市史

 秋の夜長に『浦和市史』第五巻現代史史料編IIの頁を繰りました(浦和市総務部行政管理課編、2000年)。大宮、与野との合併を控えて編集された史料集で、1975年頃から1999年頃までの出来事に関する記事をおさめています。出典は『埼玉新聞』や市広報『市民と市政』、『市告示原簿』、『議会会議録』などです。そこで目にとまった出来事のいくつかをピックアップしてみます。

浦和駅西口開発と大型店撤退
 先日、浦和駅東口にパルコが開店しましたが、それまでは西口の伊勢丹とコルソが代表的な大型商業施設でした。西口にこの二店が出来たのは1981年4月のこと。開店当日は県庁前交差点から北浦和駅前まで自動車の列が出来たと報道されています。他方で1984年1月には伊勢丹などに客を奪われた老舗のニチイ、丸善、十字屋などの大型店が相次いで閉店したという記事がありました(pp.365-366, pp.376-377)。

・越境入学の是正
 1976年10月には越境通学の深刻化に関する記事がありました。川口、蕨、与野、岩槻などに住んでいながら、住民票だけを学区内に移して電車で市内に通ってくる生徒がかなりいたことが社会問題になったようです。例えば浦和駅前の岸町中学校は人気校の一つだったようです。これに対して市の市民部は「……『越境通学者住所』の確認は難しいことから、担当職員二人を一組にして班を編制。市教委からの越境通学者リストに基づき、住民票に登録されている住所を一戸一戸訪ね、“不在住居”のチェックしていく方針」で取んだとあります。この出来事に関する市史編者による解説には「浦和市教育の根幹にかかわる問題であったが、英断をもって乗り越えることができた」と評価されており、かなり深刻な問題とされていたことが窺えます(pp.595-596, pp.620-623)。

・小中学校の増設と学区編入反対運動
 1976年頃には小中学校の建設、開校ラッシュを報じる記事がおさめられています。この近辺の土合中、新開小、田島小、大里小なども、第二次ベビーブーム世代の就学に対応するためにこの時期にできたそうです。他方で新設にともなう学区編入には反対運動もあったようです。学区編入によってバイパスを越えて通学しなくてはならなくなった小学生の親たちが市教委前でデモを行ったり、県教委に行政不服審査請求をして、抗議したことが報じられています。「学区再編に反対して、始業式に児童五十九人が登校拒否する事態にまで発展した浦和市の田島団地学区再編問題は、『子供のために』と親がおれ、九日に行われた田島小学校(島崎盛好調)の入学式は、病欠者四人を除く全員が『晴れ』の式に出席、また八日の始業式に登校を拒否した転学組も登校したため、長期の登校拒否という最悪の混乱事態は回避された」。この日はあいにくの雨だったようで、そのため「晴れ」という表現に括弧が付されているみたいです(pp.600-607, pp.618-620)。