奥州松島の美しさ
先週末に一年半ぶりに仙台を訪ねました。今回は松島にも足を伸ばしてみました。
日本三景を訪ねたのは、これで二つ目です。天橋立では小さい頃に海水浴をした記憶があります。安芸の宮島には行ったことがありません。日本三景の由来は江戸時代の儒者、林春斎による『日本国事跡考』(1643年)の「山処奇観」にあるといいますが、いずれも海の風景である点で共通しています。これに対して昭和初期に指定された最初の国立公園は、瀬戸内海をのぞいてすべて山の風景でした(雲仙や中部山岳、阿寒や阿蘇など11件)。近世には海辺が美しいとされていたのが、近代では山岳がより美しいとされたのでしょうか。
こうした変化について、柄谷行人が「風景の発見」という彼の有名な議論で説明しています。要するに、近代以前の山岳は信仰の対象や交通の障害ではあっても、観光地ではなかったのだけど、近代になると人間の能力を圧倒するがゆえに惹かれてしまうというロマンティックな感覚(崇高)がでてきた結果、登山という種類の観光も生まれた、というような議論です。昭和初期のモダニズムの雰囲気の中で山ばかりが国立公園に選ばれたことは、とりあえず、この「風景の発見」論で説明がつきます。
これに対して、瀬戸内海のような内海を除いて、沿岸部の風景が国立公園に選ばれなかったのは、なぜでしょうか。これは想像ですが、海の風景を美しくしているリアス式海岸は、近代になると軍港に適した立地条件となったので、国家の立場からすると積極的に観光地化はしたくなかったのかもしれません。宮島の近くには呉があり、天橋立の近くには舞鶴があります。佐世保も似たような海の風景のところにあります。当時は港を見下ろす高台に登ることは禁じられていたともいいます。観光の名目で、軍港付近をうろちょろとされたらさぞ迷惑だったでしょう。
松島には瑞巌寺という伊達家の菩提寺もあります。一説によると、この瑞巌寺近辺は伊達政宗によって軍事施設として構想されたものであり、松尾芭蕉はそれを探るために松島にやってきた幕府の密偵だったとか。彼もまた観光の名目でうろちょろした口だったのでしょうか。
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