チベット問題を勉強した頃

 北京オリンピックの開催を今年8月に控えてチベット問題に関する報道を頻繁に耳にします。これに関連して、昔、授業を受けたことがある中国政治外交史の先生の姿をテレビでよく見かけるようになりました。チベット問題に関する解説を依頼されてのことです。
 彼の博士論文は清朝チベットの関係を扱ったもので、一見すると地味なテーマですが、その内容は斬新で、しかも現代中国の行動原理を理解する上で重要なヒントを与えてくれます。彼は久しく空席であった法学部の講座を若くして担当するようになり、最初に出版した本は権威ある賞を受賞する一方で、チベット研究の第一人者から(学問的にも政治的にも)徹底的に批判されたりもして、いろんな意味で評判になりました。
 私が出席したのは彼が初めてもった授業であり、よくできた講義とはいえませんでしたが、目の覚めるような新しい解釈と興味の尽きない小話が続いて、飽きさせませんでした。大抵の政治史、外交史の研究者は公刊されていない一次資料を重視して、現地の文書館に通ってなんぼというタイプが多いのですが、彼は思想史的なアプローチから中国の統治原理や解き明かそうとしており、わりあいマクロな見取り図を提示してくれたのも受けがよかった理由でしょう。他方でこの先生は鉄道による旅行が好きで、バックパッカーとして硬座に乗って中国各地をまわったという話も聞きました。思想史的でありつつも、研究対象となる場所に住むひとたちの感覚に触れようとする姿勢は、彼の師匠のスタイルを承けたものかもしれません。
 彼の議論でとりわけ興味を惹いたのは、中国の近代化やナショナリズムに与えた明治維新の影響という、いわゆる「日本の衝撃」論に関わる部分です。この見解は、日本のアジア主義にも一定の基礎があったことを指摘しつつ、日本の植民地支配をどこか弁証するような微妙な話になりがちなんですが、この先生の場合、今の中国のありようの起源を「日本」に求めるという皮肉な議論構成になっているのがミソでした。