安達が原の福沢諭吉

 先日、福沢諭吉の自伝『福翁自伝』について授業で喋る機会がありました。福沢の自伝は100年前の文章でありながら口述筆記されたためか非常に読みやすく、一つ一つのエピソードが短くてあっという間に読めてしまいます。下手な小説よりずっと破天荒で、抱腹絶倒の体験談には、「一身にして二生を経た」福沢のすぐれた同時代観察だけでなく、時代を越えて読む者を元気にしてくれる明るさがあります。
 今回読み返してみて興味深かったのは、初めてアメリカに渡ったときのエピソードです。「ソコで御馳走は何かというと、豚の子の丸煮が出た。これにも肝を潰した。如何だ、マアあきれ返ったな、まるで安達ガ原に行った訳けだ、とこう思うた」(『福翁自伝岩波文庫、p.115-116)
 「安達ガ原」というのは、妊婦の腹を切り裂いて胎児を取り出したという鬼婆伝説のある場所のことです。ちょうど、先日、文楽の『奥州安達が原』というプロットも場面表現もめちゃくちゃな話を見て、江戸時代の人間というのはもう現代の我々から見みると外国人だなと思ったばっかりでした。福沢からみても、今の私たちは外国人のようなものなのでしょう。
 他方で福沢の時代と現在とで変わらないなと思う部分もあります。幕末人にとって「議会制」と「政党制」とは180度異なるイメージでもって理解されていた、という三谷太一郎先生の指摘があります。その際、引用しているのが福沢のイギリス訪問時の感想です。

党派には保守党と自由党と徒党のようなものがあって、双方負けず劣らず鎬を削って争うているという。何のことだ、太平無事の天下に政治上の喧嘩をしているという。サアわからない。コリャ大変なことだ、何をしているのか知らん。少しも考えの付こう筈がない。あの人とこの人とは敵だなんというて、同じテーブルで酒を飲んで飯を食っている。少しもわからない(p.133)。

 このように引用した上で、三谷先生は幕末の日本人にとって「議会制」は統合のシンボルであったのに対して(五箇条御誓文の「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」のように)、「政党制」は分裂のシンボルであった(福沢の感想のように)、と述べています(『大正デモクラシー論』)。政党が徒党や派閥と同じようなイメージで捉えられているのは、現在の日本でも変わらないですよね。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)