オバマは広島にやってくるか?

バラク・オバマアメリカの大統領に就任してから半年近くなります。
この間、内政ではヒスパニック系初の最高裁判事の指名、GMの破綻処理を手掛けてきました。他方で、外交ではグアンタナモの収容施設の閉鎖、キューバに対するOASの門戸開放の他に、4月にプラハで、6月にはカイロで、注目すべき演説を行っています。
識者の指摘する通り、プラハ演説もカイロ演説も歴史的な意義をもっています。プラハはかつて冷戦の最前線であり、カイロは今も文明の衝突の中心の一つです。オバマプラハ核兵器廃絶の理想を高々と掲げ、カイロでは文明の対話を身をもって実践しました。ヨーロッパ、中東と歴訪したオバマは、それではアジアではどこで演説するのでしょうか。

参照:吉崎達彦「カイロ演説とソフトパワー外交」2009年6月12日
http://tameike.net/pdfs8/tame419.PDF

プラハ、カイロ、あるいはシカゴ(勝利演説)、ワシントン(就任演説)といったトポス(象徴的な意味をもった場所)を利用してきた履歴を考えると、アジアでの演説の地として「ヒロシマ」を選択することは十分ありえます。すでにオバマ大統領の手帳には今秋の訪日が書き込まれています。そこでかりに広島演説が実現したら、それにはどのような意味があるのでしょうか。
第一にこの地上から核兵器を廃絶するという理想を語る上で、これ以上ふさわしい場所はないということです。広島は世界で初めて核兵器が使用されたところです。それはオバマ外交に特別な説得力を与えるでしょう。ヨーロッパ、中東ときて、アジアのこの地で演説すれば、それは文明論的な響きさえ獲得するでしょう。
第二に、それは日本の市民に対して一定の責任を果たすことになるでしょう。明確な謝罪はなくても、広島の平和記念公園を訪問し、核兵器の廃絶を訴えるアメリカの大統領の姿は、今なお原爆の後遺症に苦しむ人たちに一定の慰藉を与えるのではないでしょうか。もちろん日本の国民世論はオバマの演説を熱烈に支持するはずです。
第三に、この演説はアメリカの退役軍人から強い反発を受けることになるしょう。終戦50周年を記念したスミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展の企画は退役軍人による強い反発を招きました。アメリカの正史において、原爆は戦争を早く終わらせ、その分だけアメリカ人の生命を多く救った正義の兵器です。これを否定する言辞には退役軍人らからの非難が寄せられるはずです。
第四に、しかしながら、こうした反発と引き換えに、この演説は日本の歴史修正主義者や軍事的タカ派を牽制することになるでしょう。リビジョニストは、日本の戦争犯罪を指弾し、アメリカの原爆投下を無視した東京裁判を「勝者の裁き」として批判します。オバマが原爆投下の非を認めれば、彼らはもう「どっちもどっち」の論理は使えなくなります。また日本の核武装を主張する軍事的タカ派も勢いを殺がれることになるでしょう。
第五に北朝鮮の核開発に対してプレッシャーを与えることになるでしょう。日本のタカ派に勢いがあるのは、北朝鮮瀬戸際外交のせいです。北朝鮮の一理あるとしたら、それは大国だけが核兵器保有し、その他の中小国には認めないという核の不平等体制があるからです。これを改革するならば、オバマ北朝鮮に対する道義的な優越を手に入れられるでしょう。
第六にこの演説のアジェンダ・セッティング(話題の優先順位付け)によって、日本の世論は拉致問題偏重の姿勢を改め、核開発阻止のための柔軟な方策にも理解を示すようになるかもしれません。そもそもカイロ演説も、イランの核開発を阻止するための政治的資源を中東諸国から獲得する、という狙いを秘めていました。同じように、日本の世論の理解が得られれば、それだけ硬軟多様なオプションを北朝鮮に提示することができるでしょう。
もちろんオバマが広島を訪問するかどうかは不明です。よって以上の意味づけもあくまで仮定の話です。アメリカのテレビ・ドラマ『ウェスト・ウィング』(邦題、ザ・ホワイトハウス)が民主党員のファンタジーと揶揄されたように、以上の想像も、左派的な日本人の願望なのかもしれません。
いずれにしても、今秋になれば分かることです。もしオバマが広島を訪れ、そして上述のような意味をもつ演説を行えば、たぶん日本の歴史的な経験はもっとグローバルなものになるはずです。手塚治虫藤子不二雄宮崎駿らを生みだした戦後の日本文化はもっと適切な文脈で世界で理解されるようになるのではいでしょうか。