おとなしいアメリカ人

 先月のカンザスでの演説においてブッシュ大統領は、アメリカが民主主義のために海外に関与することに対してなされる批判について、まったく無自覚だったわけではない。
rfts - ブッシュのウィルソン主義



インドシナにおけるアメリカのプレゼンスは有害であるという議論には長い伝統があった。1955年、アメリカがまだ戦争に突入するずっと前に、グレアム・グリーンは『おとなしいアメリカ人』という小説を書いている。物語の舞台はサイゴン、主人公はオールデン・パイルという名の若き政府職員である。彼はアメリカの目的と愛国心と、そして危険なナイーブさとを象徴する人物だった。作中、もうひとりの人物はオールデンのことを次のように描写している。「おれはあれほどごたごたを起こしておきながら、それをあれほど善意の動機からやった男を見たことがない」
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/08/20070822-3.html

 地獄への道は善意で敷き詰められている。パイルはそうしたアメリカの善意がもたらすアイロニーを体現していた。けれども、アメリカの指導者がこのパイルに言及したのは、彼の国が関与することでイラクアフガニスタンがめちゃくちゃになってしまうことを憂慮したからではなかった。たとえそれが少なくない犠牲を伴うものであったとしても、偽善はシニシズムよりはより少なく悪である、というのがブッシュの言わんとするところである。かつてアメリカがインドシナから手を引いたことで、その後一体なにが起こったのか。

世界はやがてこうした認識がいかに誤ったものであったかを学ぶことになる。カンボジアではクメール・ルージュが血で血を洗う支配を始め、何十万ものカンボジア人が飢餓と拷問と処刑とによって命を落とした。ヴェトナムでは、合衆国の支持者や政府職員、知識人やビジネスマンが収容所へ送られ、やはり何万人ものひとびとが命を奪われた。何十万ものひとびとがおんぼろボートで国から逃げだし、南シナ海に散ったのである。
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/08/20070822-3.html

 もちろん、世間の無理解や非難にもかかわらず、自ら課された使命を成すという自己イメージはどこかしら甘美なものであるし、そもそも「白人の重荷」という観念にもそうした帝国主義的な心理は含まれていたはずである。それにもかかわらず巷間言われているような愚かで、幼稚で、不遜なアメリカの指導者というマイケル・ムーアあたりが流布している単純なイメージよりは、少しはしたたかで、屈折した指導者の自己像をこのブッシュの演説は伝えているように思われる。

おとなしいアメリカ人  ハヤカワepi文庫

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