千葉周作と柄谷行人

 司馬遼太郎の街道を行くシリーズの『ニューヨーク散歩』を読んでいたら、当時、コロンビア大学院生だったインドラ・リービに通訳をしてもらったという記述に出会った。インドラ・リービはリービ英雄の妹で、現在はスタンフォード大学アジア語学部の助教授をしている。
 このエッセイのなかで興味をひいいたのは、司馬がインドラと漱石の『文学論』をめぐって議論をした印象を語った部分である。司馬は、漱石が『文学論』のような発想をもったのはロンドン時代に科学者の池田菊苗(「味の素」の発見者)と出会ったからではないか、と想像していた。

 漱石の『文学論』が失敗作だったかどうかについて私は深刻に考えたことがない。が、議論のたて方として、インドラ・リービさんにそう言ってみた。
 「私はそうは思いません」
 という答えと、簡潔で魅力的な論理が理由としてもどってきて、私はすっかりいい気持ちになった。
 彼女には、一七歳上の兄君がいる。
 リービ英雄氏である。(中略)
 後日、会うことがあり、妹さんのすばらしい議論のたて方についていうと、
 「妹は柄谷行人の弟子ですから」
 と、適切、かつユーモラスに即答した。議論の素人である私は、千葉周作の門人と野仕合したようなものである。(司馬遼太郎『ニューヨーク散歩』朝日新聞社、一九九七年、一六三−一六四頁)

 司馬遼太郎柄谷行人のことを千葉周作に喩えたことが面白かった。インドラを賞賛している文脈でのコメントだから、基本的には柄谷についても肯定的に評価しているのだろう。あるいは司馬は小説などで千葉や北辰一刀流、野仕合などに含むところのある見方をしていて、これも実のところ迂遠な皮肉になっているのかもしれないが、よく分からない。
 この話とは別に、同書にはE.H.ノーマンに言及した部分もあるのだけど、彼の著作に対する司馬の意見がどうも判然としない。「天才」「うまれついて愛をゆたかにたたえていたひと」「高邁」などという評価をしているが、例えば明治維新論ひとつとってもノーマンと司馬とではかなり違うものだったはずである。彼の本をきちんと読んでいなかったのか、あるいは読んだ上でもなおそう評価していたのか、後者であるならばその理由も聞いてみたかった。

ニューヨーク散歩―街道をゆく〈39〉 (朝日文芸文庫)

ニューヨーク散歩―街道をゆく〈39〉 (朝日文芸文庫)