真言

senzan2007-11-30

 実家の宗旨は真言宗なので、先日の法事もそのやり方で行いました。近隣ではお大師講を毎月持ち回りで行っていて、小さい頃から当番日の夜に参会者が真言を唱える声によく馴染んでいました。また祖母、両親ともに、四国八十八カ所巡りに足繁く通っていたので、我が家では真言宗は生活のデフォルトでした。けれども、うちの彼女や子どもにとってはかなりインパクトのある文化接触の経験だったようです(彼女の実家は別のご宗旨)。
 言われてみれば、大勢で真言マントラ)を唱和する様子は異様に見えるかもしれません。真言サンスクリット語で表現された仏の言葉を音写したもので、お経にはひらがなで書かれています。例えば光明真言では次のような言葉をミニマルに口誦します。

 おん あぼきゃべい ろしゃのう まかぼだら
 まに はんどま じんばら はらばりたや うん 

 真言の意味は全然分かりません。また意味を考えなくてもよい、というのが弘法大師空海の教えのようです。意味は考えなくてもよいが、実際に声に出してみると響き心地よく、唱和、反復することでトランス的な精神状態に至ります(法悦?)。生きる意味とか救済とかを期待する近代的な宗教観からすると、こうした身体技法は異様ですが、しかし無意味に強烈です。
 先日の法事では十三仏真言のうち虚空蔵菩薩真言を唱えました。若き空海は土佐の室戸岬で太平洋に向かって虚空蔵菩薩真言を百万回唱えて、驚異的な記憶力を得たといいます。それなら我が子にも荒川あたりでやらせてみようかしらんと思いましたが、虚空蔵信仰ではうなぎを食べてはいけないそうなので、即座に諦めました。