『ウルトラ・ダラー』のインテリジェンス

 手嶋龍一の『ウルトラ・ダラー』が文庫化されたのを機に、手にとってみました。気になったところをメモしておきます。
 まず著者のインテリジェンス観が開陳されている箇所。

 雑多な情報のなかからインテリジェンスを選り分けて、国家の舵を握る者に提示してみせる―これこそが情報士官の責務だ。活きのいいインテリジェンスを受け取った本国の情報分析官は、他のさまざまな情報とつきあわせて、事態の全体像を精緻に描き出し、政治指導部に供する。こうしてインテリジェンスは初めて国際政治の有力な武器たりえるのである。(手嶋龍一『ウルトラ・ダラー』新潮社、2007年、73頁)

 この見方はいわばインテリジェンスのジグソーパズル・モデルと言えるかもしれません。ここでは、秘密情報の収集よりも、雑多ではあるが公開された情報を分析・総合することに、インテリジェンスの本質が求められています。スパイ小説とインテリジェンス小説とを区別し、本書を後者に分類するとしたら、おそらくこの点に違いがあるのでしょう。
 ただし、私見では、インテリジェンスは国策に関わる情報分析という意味を超えて、もっとデモクラティックな契機と結びついた一種の社会現象(とくに20世紀以降は)として議論すべきではとも思っています。「インテリジェンス」という言葉が濫用される昨今ではその思いを強くしていています。
 それからもうひとつ。主人公であるBBC特派員がある女性外務省高官について述べた印象に対する、彼女(日本人)のコメント。

「その竹を割ったようなという言い方は、男らしいという暗喩よ。いまのご時世ではポリティカリー・インコレクトだわ、スティーブン。放送で口にしたら、さしずめオタワあたりに飛ばされるわよ。あそこは三時間ほど滞在するのにはいいところだけど、住むには死ぬほど退屈よ」(前掲書、81頁)

 日本人にまでそんな紋切り型を言わせるとは、余計なお世話です。

ウルトラ・ダラー (新潮文庫)

ウルトラ・ダラー (新潮文庫)