荒川の越流堤

senzan2007-12-18

 先日、荒川河川敷にサッカーの練習で出かけた後、対岸の志木側にまで遠回りしてみました。対岸から見て初めて気づいたんですが、浦和側の堤防には越流堤があるんですね。
 もともと荒川はその名の通り洪水の絶えない川だったそうです。荒川は下流では隅田川と呼ばれていました。20世紀になると帝都東京を水害から守るために、隅田川を荒川本流から切り離し、別に東京湾に注ぐ放水路を開削しました。浦和にある越流堤もこうした治水の一つです。これは、河川の堤防の一部を他よりもわざと低くし、そこから堤内に向けて計画的に洪水させることで、下流でのより程度のひどい氾濫を防ぐためのものです。越流堤の内側は調節地になるため、敷地内に住宅や工場はなく、普段は水田や公園として利用されることになります。洪水を防ぐために、わざと洪水を起こす、という発想には実に興味深いものがあります。
 浦和の越流堤は秋ヶ瀬橋と羽根倉橋のあいだの荒川東岸にあります。秋ヶ瀬橋は東京湾からの船舶の遡上北限で、JR武蔵野線のすぐ北側にかかる橋です。あざらしのタマちゃんもここまで海から泳いで来ていました。また羽根倉橋付近には大正時代まで船積問屋があり、千住まで往復一昼夜をかけて荷物を運んでいたそうです。積み荷は、羽根倉からは米、竹、薪、醤油が、千住からは肥料、木材、石材、塩が搬送されていたそうです。モータリゼーションが本格化する以前は関東の水運は盛んでした。
 この越流堤の内側には秋ヶ瀬公園と水田が広がっていて、洪水時に調節地になります。園内には野球、ラグビー、テニスなどのスポーツ施設の他、ゴルフ場、バーベキュー場、ヘリポートなどがあります。越流堤内は冠水するので、ここに水田をもつ農家は少し離れた集落からトラクターやコンバインで通ってきます。ゴルフ場のクラブ・ハウスも、同じ理由から、越流堤よりもさらに東側にもう一つある堤防の向こうに離れて置かれています。「Jリーグ百年構想」の下に浦和レッズが運営しているレッズ・ランドもここにありますが、受け付け施設等はやはり離れたところにあります。
 このようにこの地区は二重の堤防によって囲まれているので、洪水時には一面の湖になります。今年9月には台風9号で公園が水没しているのを目撃しました。2003年に調節地が完成して以来、荒川本線の水が越流堤を越えて導入されたのはこの時が初めてだったそうです。ここの森を歩くと木の幹のちょうど腰の高さあたりまで泥水をかぶった跡があるので、その程度までは浸水したのでしょう。公園の芝生も、強く踏みしめると水がしみ出てくるような粘土地盤のところがあります。
 現在、荒川には五つの調節地・越流堤が計画されていて、そのうちこの第一調節地だけが完成しているそうです。浦和の上流にも調節地は計画されています。けれども、ここから先の下流はもう住宅と工場の密集地になるのでその余地はありません。上流の越流堤が浦和を水害から守るように(まだできていませんが)、浦和の越流堤が東京の水害を防いでいるのを知った遠回りでした。
参考 荒川第一調節地 ‘“yŒð’ʏȁ@ŠÖ“Œ’n•û®”õ‹Ç
※ 画像は志木市側から見たさいたま市の越流堤。見にくいですが、木立の手前、堤が一段低いところが、それです。その向こうのビル群はさいたま新都心