クリスマス会

senzan2007-12-20

 子どもが通っている保育園のエントランスには現在クリスマス・ツリーが飾ってあります。しかし、その保育園は真言宗のお寺さんが経営するれっきとした仏教系なのです。
 4月の花祭りでは少し離れたところにあるお寺にお参りする行事がありました。7月には盆踊りもしましたし、11月には七五三をお寺でやってくれました。後で見た写真には、お坊さんがハリー・ポッターが使うような細い杖を子どもの頭にあてる儀式をしていました。
 他方でクリスマス会もちゃっかり行います。例年通りならクリスマス・ソングを歌い、サンタもやってくるはずです。たぶん「メリー・クリスマス」とは言っても、「ハッピー・ホリデー」などというような政治的に気の利いたことは言わないでしょう。なぜ仏教系の保育園でキリスト教のお祝いをするのでしょうか。
 たしかにクリスマス会で子どもたちがやる出し物もはさるかに合戦であって、東方三博士の訪問ではありません。また、仏教系とはいっても、日常的に宗教的な行事を行っているわけでもありません。大体、園の名前も『詩経』という中国の古典からとったもので、空海ではありません。おそらく、行事の宗教的な由来を無視しているわけでないけれども、特定の信仰心や価値観を表現するものとして企画されたのでもないのでしょう。行事に参加する保護者たちも同様の態度なのだと思います。仕事で行く仏教系のある大学でもツリーが飾ってありました。「そういうのありなの?」と学生に尋ねたら、質問の意図からして伝わらなかったようでした。たぶん日本社会の宗教心とはそういうものなのでしょう。
 しかし、こういうことを書いたからといって、こうした宗教心のあり方を否定しているわけではありません。それは自分自身のものでもあります。ただ、こうした師走の日本的な光景を見る度に思い出す文章があるので、この機会に引用しておきます。

 今日の講義は日本の宗教について。日本では「あなたの宗教は」と聞かれればたいてい「仏教です」と答えるが、結婚式はキリスト教式だったりするという「ナゾ」についてである。
 話の内容は、要するに神道多神教なので、神道の体系内で他の神を受け入れるのは容易であるということ。太陽の神やキツネの神が、キリストやブッダに入れ替わっただけで、多くの神を並行して崇めるという姿勢そのものが神道の構造だ、という私の持論である。この意見は、インド人にはわりあい通りがよい。というのも、ヒンドゥーもサルの神様やゾウの神様がいる多神教だから、彼らにも感覚的にわかりやすいのである。(中略) 
 講義でもう一つ説明したのは、「どの宗派の寺院でもお参りに行く」という日本の宗教意識の問題点。一見開放的で、どの宗教でも受け入れているように見えるが、じつは「多くの神を同時に崇める」という点は頑固に変えない。そのため、「私はキリスト教徒だから、神社には参拝できまぜん」といった姿勢をとる者には、極度に不寛容である。戦前に朝鮮のキリスト教徒が神社参拝の強制に抵抗したさい、参拝を強要する総督府側が「神社は宗教ではない。だからこれは宗教の強要でもなければ、信教の自由の侵害でもない」と応じた史実もある。(小熊英二『インド日記』新曜社、2000年、152、154頁)

 子どもの友達の一人にTくん(ガンオタでない方)というムスリムの外国人がいます。掲示されている七五三の写真を見ると、彼も本堂で手を合わせている様子が写されていました。彼は今月急な引っ越しで転園していってしまいましたが、どんな気持ちだったのだろう、とつい考えてしまいます。