加藤周一死去

 評論家の加藤周一が亡くなったそうです。

「日本文学史序説」「九条の会」設立 加藤周一さん死去
2008年12月6日0時35分
 戦後日本を代表する知識人で、和漢洋にまたがる幅広く深い教養をもとに、政治や社会、文化を縦横に論じた評論家、加藤周一(かとう・しゅういち)さんが、5日午後2時、多臓器不全のため都内の病院で死去した。89歳だった。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1206/TKY200812050387.html

 高齢なのでいずれはとは思っていましたが、まだまだ聞ききたいこと、聞いておきたいことあったのに…。悔やんでも悔やみきれません。
 作家の水村美苗も大学時代にその教えを受けた一人でした。

 何が「真実」であるか。
 何が「正しい」か。
 この二つをぜひ知ろうとする精神である。自分という人間を離れて世の中を知ろうとし、かつ、自分が人間としていかにその世の中と関わるべきかを知ろうとする精神である。そして、この志の高い精神こそが、人類が過去に生み出してきた同じように志の高い精神を、洋の東西を問わず、かくも生き生きと眼の前に描き出すことができるのである。
 ジョットー、中江兆民法然、白楽天、フラ・アンジェリコ俵屋宗達モーツァルトパスカルバウハウス陶淵明、富永仲基、武満徹--人類の遺産が、私のようなものにこれほど身近く感じられたことはない。私は自分が生きたこの「最良の時間」と切り離して、加藤周一を読むことはできない。(水村美苗「作家を知るということ」(『加藤周一セレクション2 日本文学のへ変化と持続』平凡社、1999年に寄せた文章。同書、p.417-418, 420))

 たぶん水村が『日本語が滅ぶとき』で「叡智を求めるひと」として念頭にあったのは、加藤のようなひとなのだと思います。
 他方で加藤については、蛇蝎の如く嫌う人もいます。その人は、自分の正しさを疑わない態度、人を見下したような文章だと言って、批判していました。博学明晰で、迷いのない態度は、ひとによって、そのような印象を与えたのかもしれません。
 また、彼の日本文学史オリエンタリズム論以前的な仕事で、要するに「近代主義」的です。引証される評価基準はしばしば西洋近代でした。
 しかしながら、そんな加藤は漢詩の分かる最後の世代の人間でもありました。くわえて彼ほど日本の古典に通暁している人間は何人もいないでしょう。どのような評価や推論に際しても文献的な根拠を欠くことなく、自らの創見を語れる人はもっと少ないでしょう。
 彼を批判するよりも、そこから学ぶことの方がはるかに得るものは多い、と私は思います。
 加藤周一が亡くなって、本当に残念です。
 心よりご冥福を申し上げます。

加藤周一セレクション2 (平凡社ライブラリー)

加藤周一セレクション2 (平凡社ライブラリー)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)