連絡帳の暗号

学校と家庭の連絡に連絡帳を使っています。
これは、先生から親へ、あるいは親から先生への連絡や返信、さらには子ども自身も書きこむことで、備忘、自己管理のために使用されるものです。4月までは運用されていなかったのですが、5月のゴールデンウィーク明けからいよいよ連絡の往復が始まりました。
初回は担任のK先生からの挨拶の文章だったのですが、見てびっくりしたのは非常に乱筆だったことです。
たしかに1クラス30人弱の児童の連絡帳にいちいち書き込むのは大変でしょう。1人につき1分として、集中して取り組んだとしても30分はかかります。これは一見たいしたことのない時間のように見えますが、手にかかる身体的な負担と、単調な作業からくる精神的な疲労は侮れません。さらに個別の応答が必要な事項となると、この2,3倍は時間はかかるでしょう。当日中に返信しようとするなら、一体、通常業務のなかのどのタイミングでこの作業を処理すればよいのでしょうか。同業者として同情を禁じえません。
が、しかし、そうした苦労を割り引いたとしても、その乱筆ぶりには唖然としました。保護者という外部の人間に読ませるのなら、もう少し精確に書いてもいいでしょう。普段の物腰は柔らかく、児童に対しても丁寧な言葉づかいをされる先生であるだけに、そのギャップに意外な感じがしました。
しかし、今日、そのへんの事情がようやく理解できました。子どもが持ち帰ってきた今日の連絡帳には自分の手で「あしたちょうかい」の文字がありました。子ども自身にもスケジュール管理、持ち物の備忘として使わせているわけです。したがって、連絡帳の閲覧者は教員と保護者だけではなく、子どもも含まれます。デリケートな話題は他の連絡手段を使って相談するとしても、普段は子どもも見て、読むことがあるわけです。子どもも読むことを想定した場合、連絡帳で乱筆にするのは一種の暗号化といえるかもしれません。おそらくK先生は迂遠な表現(難しい漢字や婉曲な物言い)を使うよりも、乱筆化することで、率直さを犠牲にすることなく、コミュニケーションの私秘性を確保しようとしたのではないでしょうか。
これはあくまで私の想像ですが、そう考えればいろいろ辻褄があうので、説得力は感じます。