情報化時代の教育と感情労働

情報化によって教員と学生とのあいだの情報の非対称性はますます小さくなものとなっています。
一般にインターネットや情報端末の普及は専門家による情報の独占を打破すると考えられています。このことは学校の教員と学生のあいだでも言えることです。情報化によって、教員だけが知っているような事柄は減少し、また時間やお金をかけなければ知りえない事柄も減少した結果、知識の所有はそれだけでは尊敬の対象ではなくなりました。識字率が上昇するとその社会における年長者の権威が低下するのと同じ理屈です。
それでは、学歴は保護者に追い抜かれ、教える技術では塾講師に後れをとり、世界を見せることでは習い事の先生に負け、知識もネットで簡単に手に入るとなると、一体、学校の教員に残された役割は何なのでしょうか。
たぶんそれは感情労働なのでしょう。
教員の仕事は身体が元気でないと勤まりませんが、いわゆる肉体労働ではありません。また事務作業は少なくありませんが、人事や経理のようなデスクワークでもありません。学校教員の仕事は生徒や学生の面倒を見ることであり、お客さんを相手にしたサービス業、とりわけケアワーカーの仕事に近似しています。看護師やホスト・ホステス、コールセンターのオペレーターらがそうであるように、教員も自分の感情を押し殺し、いつも笑顔で子どもたちに接することで、「顧客」のメンタルな安定に責任を負っています。
しかし、こうした感情労働を教員が満足に果しているかというと、そうではないでしょう。大学の教職課程において感情労働のための訓練を施されているようには思いませんし、そもそも感情労働が教員の第一の役目であるかどうかは疑問です。にもかかわらず、今、現場で立っている教員に感情労働を求めてしまうなら、当然、どこかに無理がかかります。
文部科学省中央教育審議会の資料によると、うつなどの精神疾患による教員の休職者の数はここ10年で約3倍に増加しています。休職者全体に占める割合も、39.2%から61.9%にまで増えました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/042/siryo/__icsFiles/afieldfile/2009/03/23/1247462_4.pdf
今、教員の仕事は何なのか。漠然と「教育」と呼ばれている、その中身は何なのでしょうか。その役割をはっきりさせ、それに見合った能力の養成と報酬を用意しなければ、これからますます教員は疲弊していくように思います。