「日本百景」のなかの子ども

筒井康隆SF小説に『家族八景』という連作短編集があります。
主人公は他人の心を読むことができる18歳の女の子、七瀬。彼女はお手伝いとしていろいろな家庭を訪問し、その住人たちの心を覗いては、微妙な均衡の上に成り立っていた家族関係を動揺させてしまう、という物語です。八つの短編が一つずつ異なる家庭の心象風景を描いているので「家族八景」です。
これはいわばSF版『家政婦は見た!』というところかもしれません。けれども、『家政婦』はあくまでフィクションなのに対して、『家族八景』は一種のノンフィクションのようなところがあります。あるいは現代社会の寓話というべきでしょうか。というのは、匿名での情報発信が盛んな今のネット環境は、他人の心が見えてしまう七瀬のテレパシーと同等の能力を、普通の人たちにも可能にしているように思うからです。
ネット掲示番の2chに限らず、ヤフーニュースのコメント欄やプロフのゲストブックでは、事実上の匿名であることを利用して、大勢のひとたちがリアルでは口が憚れるような本音や偏見、悪口や俗情を公表しています。「本音」それ自体は従来から個人の内面や内輪のおしゃべりにも存在していましたが、インターネットはそれよりもずっと簡単に他人の本音を垣間見られるようにしました。情報化は、人間の内面と外面とのあいだの非対称性さえも取り壊し、『家族八景』ならぬ、いわば「日本百景」のような本音の可視化を作り出しました。
ここで問題なのは、こうして社会化された内面の露悪が、他人に対する信頼感と自分に対する自尊感情を奪ってしまうことです。ひとびとの内面の醜悪さはひるがえって自分の鏡像でもあり、他人への不信と自分への卑下は同時亢進していきます。七瀬は他人の心が見えてしまうことで極度の精神的な危機を経験しましたが、類似の状況は普通のひとにも起こりうることだと思います。
私が関心があるのは、いまだ自我形成途上にある小中学生のような年少者がこうした「日本百景」に触れてしまうことのリスクです。2004年6月には長崎県で小学6年生の女の子が同級生をナイフで殺害するという事件がありました。そのきっかけはネット上での悪口だったといいます。はたして子どもと情報端末の関係はどうあるべきなのでしょうか。教員や保護者は子どもたちが情報機器を利用することに関して、どのように指導していけばよいのでしょうか。
家族八景』の七瀬は成長する過程でむやみやたらにテレパシーを使用しないという自己規律を学びました。彼女は「掛け金をかける・はずす」という要領で、他人の心を読み取る能力を主体的に調節し、そうすることでなんとか自我を安定させてきました。それでは普通の子どもの場合はどうなのでしょうか。
これが、新しい技術に無理解な年寄りの杞憂なのかどうかも分からないところが、辛いところです。

家族八景 (新潮文庫)

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