冤罪はどこまで受忍されるべきか?

昨日、足利事件で有罪が確定していた受刑囚が釈放されました。改めて行われた鑑定の結果、遺留物と受刑囚のDNAが一致しないことが明らかになったのを受けて、東京高等検察庁が釈放を決断したためです。
http://mainichi.jp/photo/news/20090604k0000e040084000c.html
ところで、死刑制度に反対する有力な根拠として、冤罪の可能性があります。罪もないのに罰せられれば人生は台無しです。ましてや死刑が執行されてしまうと取り返しがつきません。これまでも死刑判決を受けながら、後に冤罪であることが判明した事例はいくつもあります。こうしたリスクがあるにもかかわらず、なぜ死刑制度は存在するのでしょうか。
この問いに対する解答の一つが、多数の重罪者を処刑するためには、少数の冤罪は受忍すべき犠牲である、というものです。重罪者を処刑する利得と、冤罪被害者が犠牲になる損失とを比較したとき、前者の方がより大きいという判断があるわけです。
例えば日本では2008年に5,155人のひとが交通事故で亡くなっています(『国土交通白書』平成20年度版より)。もし自動車がこの国からなくなれば、この人たちは死なずに済んだはずです。もちろん自動車以前の社会に時間を巻き戻したとしても、それの機能的等価物(馬車とか駕籠とか)による犠牲者は避けられないでしょう。しかし、そうだとしても自動車よりも死亡事故が少ないだろうことは十分想像できます。
http://www.utms.or.jp/japanese/condi/jiko.html
またアメリカでは2007年に10,086人のひとが銃による犯罪でなくなっています(『合衆国の犯罪2007(CIUS, 2007)』FBIより)。もし銃がこの国からなくなれば、この人たちは死なずに済んだはずです。もちろん銃規制が厳しい国でも、それの機能的等価物(ナイフとか鈍器とか)による犠牲者はいます。しかし、そうだとしても銃を使った殺人被害より少ないことは間違いありません。
http://www.fbi.gov/ucr/cius2007/offenses/expanded_information/data/shrtable_07.htm
日本にしてもアメリカにしても、自動車や銃による死者が毎年4桁を超えます。それでもこうした犠牲者を受忍しているのは、それぞれの国で自動車や銃によって得られる利得がより大きいと考えられているからでしょう。2009年3月、日本の上場企業のなかで売上高上位10社のうち3社は自動車会社で、1位はトヨタ自動車でした。また、2008年6月にアメリカ連邦最高裁はワシントンDC対ヘラー裁判において、個人が銃を所有することは憲法的な権利であると初めて判断しました。日本人の多くはアメリカ人ほど銃による犠牲を受忍しませんが、しかし、自動車による犠牲は受忍しています。
http://markets.nikkei.co.jp/ranking/keiei/uriage.aspx
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2410868/3079314
これと同様の計算が死刑制度の存置に関しても働いているのでしょう。1990年以降の日本における死刑執行数は2008年までに71人です(日本弁護士連合会の資料より)。これに先立つ80年代に再審された結果、冤罪であることが判明した死刑囚は4人います(免田、財田川、島田、松山事件)。この他にも死刑が執行された人で冤罪だった人はいたかもしれませんし、いなかったかもしれません。それは分かりませんが、かりに冤罪だったひとがいたとして、何人までなら受忍すべきで、何人以上なら受忍できでないというのでしょうか。あるいは、重罪者を処刑することの重要性がどの程度であれば、冤罪被害者は受忍すべきなのでしょうか。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/committee/list/shikeimondai/shiryou.html
この5月から新しく裁判員制度がスタートしました。順調にいけば、7月には新制度が適用された最初の公判が開かれるそうです。これは、こうした死刑制度がはたして割に合うものなのかどうか、国民の一人一人に考えさせるきっかけになるでしょう。というか、そうなってほしいと強く思います。逆に、もし裁判員制度が一部に危惧されているような「人民裁判」のようなものになるとしたら、一体、この国でどうやって子育てをしていけばいいのか、本気で反省することになりそうです。
http://d.hatena.ne.jp/senzan/20081023

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