日暮吉延長『東京裁判』(2008年)

 「ラノベかと思った」とは、あるひとの弁。新書のわりには400頁を超えるボリュームをもつ本書は、学界ですでに決定版として評価されている前著『東京裁判の国際関係』(2002年)を圧縮し、そのエッセンスを伝えたものである。
 本書の特色は、東京裁判に関する様々な事実を一次史料に基づいて明確にすることによって、「文明の裁き」か、でなければ「勝者の裁き」といった二元論的な評価がいかに不適切であるかを証示し、それに代わって諸国家の利害がぶつかりあうアリーナ=国際政治としての東京裁判という見方を提出したことにある。ファクト・ファインディングによって研究史パラダイムを刷新し、同時に社会の要請にも応えようとする著者の姿勢は歴史家の模範ともいうべきものである。
 個人的に関心をもった箇所をいくつかピック・アップしてみる。
・なぜ裁判なのか?
 東京裁判が行われたのは、ドイツでナチスを裁くニュルンベルク裁判を踏襲したからであり、ニュルンベルク裁判が行われたのはヴェルサイユの失敗を教訓としたからであ。第一次大戦後にできたヴェルサイユ体制は結局第二次大戦の発生を防げなかったら、その轍を踏まないというのが連合国の指導者たちのコンセンサスとなった。無条件降伏、占領改革、大国参加の国連、寛大な講和などはその産物であり、ニュルンベルク東京裁判もそうである。即決処刑ではなく裁判方式を採用したのは、「報復」ではなく「懲罰」であることを明確にするためだったし、枢軸国の犯罪を歴史に記録することで、連合国を中心とした戦後の国際秩序を正当化・安定化するためであった。大国間の戦争がなくなり、国連がまがりなりに機能している現状は、そうした戦後処理の成功を示している。けれども、著者はいう。死刑は失敗であった。死刑を避ければ、怨恨はより少なく、「勝者の裁き」の悪評は多少とも薄れたはずである、と。
・パル判決は特別なのか?
 判事団の構図は、「日本無罪論」のパル対その他ではなく、イギリスのパトリック判事を中心とする多数派対その他の判事という対立軸にあった。たしかにパル判決は「東京裁判の最大のアンチテーゼ」であるが、その他の判事たちが一枚岩だったわけではなく、また彼は判事団の内部では「周辺」的な存在でしかなかった。判決を主導した多数派の立場は、自然法の立場から侵略戦争天皇の断罪を主張するベルーナル(仏)に比べれば、ずっと穏健なものだったし、ウェッブ(豪)が、多数派が避けた天皇の戦争責任に言及したのは、本国向けのパフォーマンスであった。レーリンク(蘭)は「平和に対する罪」の適用に躊躇したが、交戦法違反による死刑は支持していたし、多数派の方でもザリャノフ(ソ)はすべての死刑に反対していた。
・なぜ死刑なのか?
 死刑判決の基準は「平和に対する罪」(=侵略)ではなく、「重度の残虐行為」であった。被告の訴因と量刑の関係をみてみると、マクロな戦争指導ではどれほど責任が重くとも死刑にはなっていないのに対して、松井石根広田弘毅が死刑になったのは南京事件に対する直接・間接の責任が重視されたからである。松井のケースでは有罪とされた訴因はこれ一つしかなかったし、広田のケースでは、同じ文官で、広田の2倍の数の訴因で有罪認定されている重光葵が禁固七年で済んでいる。これは、事後法のおそれのある「平和に対する罪」で死刑を下すのには判事たちのあいだでも躊躇いがあったからではないか、と著者は推測している。
 近年ではニュルンベルク東京裁判は、ハーグの国際裁判(ICTYICC)にいたる人道法の発展における重要な一里塚として評価されるようになっている(戸谷由麻の研究)。本書は、東京裁判から今日的な意義を得るにせよ、歴史の教訓を学ぶにせよ、その前提となるような事実を教えてくれる点で欠かすことのできない仕事である。

東京裁判 (講談社現代新書)

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東京裁判の国際関係―国際政治における権力と規範

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The Tokyo War Crimes Trial: The Pursuit of Justice in the Wake of World War II (Harvard East Asian Monographs)

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