オフショアリング

 オフショアリング(海外への外注)はひとびとにどのような影響を与えるのだろうか。ベストセラーとなった経済学の教科書執筆者でも知られるグレゴリー・マンキューはこれに対して”That’s a good thing.”と答えた。それはアダム・スミス以来経済学者がずっと語ってきたことであり、ビジネスにおいて珍しいものではない、と。これに対して、同じくベストセラーとなった教科書の著者であり、FRB副議長も務めたアラン・ブラインダーは、現在進んでいるオフショアリングは第三の産業革命とでもいうべきものであり、その結果は予測する(predict)のはおろか、想像する(imagine)のさえ困難である、と述べている(Foreign Affairs, March/April 2006)。
 ブラインダーによると、現代のオフショアリングは、工業化、サービス業化に続く第三の産業革命である。もちろんオフショアリング自体は、輸送費を加えても他の場所で生産する方が低コストであるときに起きる、一般的な現象である。これまでも製造業の分野ではオフショアリングによって販路を奪われないよう、グローバルな競争が行われてきた。けれども、情報化によって、オフショアリングの波はサービス業の分野にも及ぶようになってきた。この結果、サービス業では従来の「教育、資格、熟練の必要な労働」と「そうでない労働」という区別から、「対面的(personal)な労働」と「非対面的労働」という区別の方が重要になる。タクシードライバーパイロットはインターネットを通じてオフショアリングすることはできないが、タイピングやセキュリテリアナリシスはそれが可能だし、事実インドへ外注されている。医者を海外に外注することはできないが、X線技師はできる。清掃業者やクレーンの操作者はできないが、会計士やコンピュータプログラマーはできる。問題は、電子的に提供できるかどうか(対面的かどうか)であって、高等教育・熟練を必要とするかどうかではない。
 こうした見通しを語った上で、ブラインダーは面白いことを指摘している。「一般的な考えとは反対に、アメリカ人や英語圏のひとびとが憂慮すべきは中国からの挑戦ではなく、インドからの挑戦である」。中国向けのオフショアリングは製造業が中心であるが、インドは英語の強みを生かしてサービス業のオフショアリングを引き受けるからである。このことは日本経済にどのような含意をもつのだろうか。
 (以下感想)インドにとって英語が帝国の遺産であるというならば、日本にとって日本語は一種の非関税障壁ということになろう。日本では日本語がサービス業雇用の流出を防ぐ働きをする(日本語を日常的に話す地域は国外には存在しないのだから)。それでも日本市場がなお魅力的であるなら、海外で日本語を勉強してこの非関税障壁を乗り越えようという商魂逞しい連中が現れてくるかもしれない(現に中国には日本語によるテレオペセンターがある)。あるいはかつて外圧によって日本的な商慣行が非関税障壁として非難され、撤廃されていったように、日本語を英語や中国語に代えろという意見が出てくるかもしれない(妄想だけど)。いずれにしても、著者がいうように、この産業革命に対処するために子どもに高い教育を受けさせればそれでいい、ということはないのだから(問題は教育の有無ではない)、子を持つ親としてはまた一つ悩みが増えたわけである。
※「X線技師(radiologists)」というのが意味不明だけど,後で「臨床検査laboratory test」とも言い換えられている(不急の病理検査とかか).あと同じ弁護士といっても企業法務はオフショアリングされちゃうけど,離婚弁護士は増えていく,ってところはうけた.(27/4/2006追記)