文楽と世襲

この4月からNHK教育の企画で「日本の伝統芸能」という番組が放送されています。
月替わりで歌舞伎、能・狂言文楽の名作を演者による解説を交えつつ、紹介するというものです。6月は文楽で、今週水曜には初回の放送があります。内容は『仮名手本忠臣蔵』九段目です。
ところで、文楽は人形劇という点で生身の人間が舞台に立つ他の伝統的な演劇とは異なりますが、もう一つ大きな違いがあります。それは文楽のキャリア・パスが基本的に能力主義ということです。狂言や歌舞伎には「茂山」や「野村」、「市川」や「中村」などの世襲の役者がいます。文楽にも父祖が名人だった演者はいますが、現在は養成所で教育をした後、師匠につくというキャリア形成が一般的です。したがって「竹本」や「桐竹」は家制度ではありません。
しかし、皮肉なことに、文楽の観客はというと、他の伝統芸能よりも「世襲度」が高いような気がします。能や狂言は大学に学生サークルがありますし、歌舞伎はテレビにも進出し、公演は商業的に成り立っています。これに対して文楽の学生サークルというのはあまり聞きませんし(かつて浄瑠璃が盛んだった地域の高校の部活動にはありますが)、上演は国立劇場が中心で、国家官僚からすると対外的なソフトパワーの一種くらいの位置づけです(今年はロシア公演があります)。
では、どんなひとが文楽を聞きに、見に来ているのでしょうか。私の個人的な印象ですが、それは育った家庭環境で多少とも馴染みがあったひとたちのような気がします。
国立劇場の小劇場はハコが小さいせいか、有名人が来ていると目立ちます。昨年9月の公演では山村紅葉氏をみかけました。彼女はミステリー作家の山村美紗の娘です。また2月には金田一秀穂氏をみかけました。彼はいわずとしれた国語学者の三代目で、しかも四代目とおぼしき高校生(?)を連れての観劇でした。『あやつられ文楽鑑賞』を書いた三浦しおん氏の父親も、国文学者です。大阪と東京では違いはあるかもしれません。が、程度の差はあれ、文楽の客層は文化資本の高い家で育ったひとたちということになります。
吉田玉女は、技芸員のなり手がいなくて、キャリアが20年クラスの人形遣いでも足遣い(黒子)を続けていると述べています。たしかに演者のリクルート・システムを再考するべきでしょう。が、それとともに、文化資本を相続した観客意外にも、文楽の裾野を広げていく工夫も考えたいところです。

2月文楽「女殺油地獄」

今年の2月には文楽女殺油地獄」を見ました。
作者はいわずと知れた近松門左衛門。今回の内容は、徳庵堤の段、河内屋内の段、豊島屋油店の段です。最後の段の語りは豊竹咲大夫、三味線は鶴澤燕三、人形遣いでお吉は桐竹紋寿、与兵衛は桐竹勘十郎です。
油屋の息子与兵衛は放蕩三昧で生活を改めようとしません。両親は彼の改心を祈念してあえて勘当しますが、親の心、子知らずで、同業の豊島屋の女房・お吉にまで金の無心に出かけます。世話物の主人公がダメ男なのはデフォルトですが、それに輪をかけてダメなのがこの与兵衛。昔から姉とも慕うお吉を油まみれになりながら背中から襲うという展開は、話の筋は知っていても、度肝を抜かれます。
三浦しおんは、「年下の男を挑発する人妻」たるお吉が与兵衛を凶行に走らせた、と解釈していますが、これも肯けます。
勘十郎の人形は静動いずれも隙がなく、動でもぶれず、静でも目が離せません。
2月には国立劇場裏手の資料館で淡路人形の展示紹介もやっていました。

新編日本古典文学全集 (74) 近松門左衛門集 (1)

新編日本古典文学全集 (74) 近松門左衛門集 (1)

あやつられ文楽鑑賞

あやつられ文楽鑑賞

文楽「天変斯止嵐后晴」記者会見

5月26日に文楽公演「天変斯止嵐后晴」制作記者発表が国立劇場で行われました。
「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」はシェイクスピアの戯曲『テンペスト』を文楽に脚色したもので、1991年に続く再演です。
http://www.ntj.jac.go.jp/topics/news090527.html
NHKの夜のニュースで記者会見の模様を見ましたが、鶴澤清治、吉田和生、桐竹勘十郎、吉田玉女ら今もっとも脂の乗っているひとたちがテレビに登場したので、思いがけず興奮してしまいました。普段は耳にしない人形使いの声、とりわけ吉田和生の声が聞けたのも望外です。
7月に大坂の国立文楽劇場、9月に東京の国立劇場で上演されます。
今から大変楽しみです。

テンペスト―シェイクスピア全集〈8〉 (ちくま文庫)

テンペスト―シェイクスピア全集〈8〉 (ちくま文庫)

(2009/05/30誤字訂正)

5月文楽「ひらがな盛衰記」

先日、三宅坂国立劇場に5月文楽を見に行きました。
演目は『ひらがな盛衰記』二段目、四段目の半通し。切り場の神崎揚屋の段の語りは豊竹嶋太夫、三味線は豊澤富助、人形役割の源太は吉田和生、千鳥・梅ヶ枝は桐竹勘十郎です。
源平盛衰記』を下書きにしてはいますが、物語は歴史的な攻防とは関係なく、前半は武士の立場と母子の情愛が絡む話で、後半は生活能力のない男に金を貢ぐ女の話です。圧巻は、カネが欲しい、カネが欲しいといって半狂乱になる傾城梅ヶ枝が、来世の地獄と引き換えに現在の大金を願って「無間の鐘」をつくシーン。最初は声の通りに不安もあった嶋太夫も、このシーンでは聞かせます。人形をつかう勘十郎は鬼気迫るものがありました。
チャリ場の辻法印の段では吉本新喜劇風の掛け合いがあって、愉快。
源太勘当の段の千歳大夫もよかったです。
ところで、その日は半蔵門のイタリアンのお店でお昼を食べました。国立劇場に来るときにはいつもその店で食べるんですが、今回ようやく顔を覚えてもらいました。

「サンタクロースなんていないし」

幼稚園ママの付き合い方は友達感覚です。
そのことを痛感させられたのが、ある幼稚園ママがうちの子どもに対して発した一言です。ここでは彼女の発言そのものは引用しません。たとえで表現するなら、「サンタクロースなんていないし」と同種の発言です。彼女は、子どもの他愛のない夢や勘違いであっても、後々その子が現実を知ったときに傷つくとよくないからという善意(?)の動機から、6歳の子ども相手にその種の発言をしました。
私は彼女のそうした振る舞いに、幼稚園ママにあるような、他人の子どもや家庭に対する気軽さ、遠慮のなさ、友達感覚のようなものを感じました。幼稚園ママのもつ友達感覚を表すいくつかの特徴を挙げてみましょう。
・買い物や子どもの送り迎えくらいでは、よそいきの化粧や格好はしない(近所は家の延長)。
・そこでママ同士が出会うと、ため口で長々とおしゃべりに興じる(友達感覚)。
・その内容はテレビに出てくる若い男の子のことや旦那の悪口(保育園ママの関係が顧客同士なのとは違う)。
・お互いの子どもや家庭のことにも口を出す(互いの家に子ども連れで遊びに行くので、垣根が低い)。
私と妻は、今でも初対面の成人からため口(同輩者に対する敬語のない言葉遣い)を使われると、戸惑ってしまいます。保育園ママからため口を使われたことは長期の付き合いにもかかわらずほんの1,2例でしたが、幼稚園ママからは初対面でもため口がしょっちゅうです。逆に幼稚園ママからすると、ママ・パパ同士のあいだで丁寧な言葉を遣うのは他人行儀と思うのかもしれません。幼稚園ママと保育園ママとの行動様式の違いについては、昨日のエントリーで述べたとおりです。
http://d.hatena.ne.jp/senzan/20090527
もちろん、こうした「サンタクロースなんていないし」的発言はその彼女自身のキャラクターのなせるわざかもしれません。幼稚園ママ一般の特徴というのは単純すぎるでしょう。けれども、幼稚園ママ的な関係性には、こうした発言を抑制するような仕組みが欠けているのも確かでしょう。それは一面でフレンドリーであり、他面で不躾な関係性です。
それでは、こうした幼稚園ママとの付き合いを敬遠すべきなのでしょうか。私は、件の「サンタクロース」的発言は度を越しているとは思いますが、一概に彼女たちとの交際を避けるべきだとは思いません。異文化体験に当惑し、ときにはストレスも感じますが、敬意をもって付き合っていくことが望ましいことは承知しています。実際、PTAやスポーツ少年団などで中核的な運営を果たしているのはこうした幼稚園ママたちです。彼女たちには時間的な余裕があり、根回しに有利な母親同士のコネがあり、子どもの発達段階に関する経験値があります。たぶん幼稚園ママからすると、共働きの家庭はこうした活動にフリーライド(ただ乗り)しているように見えるはずです。
加齢とともに異文化に対する適応力は低下しがちです。しかし、子はかすがいがといとも言います。子どもがあればこそ、新しい世界に対しても挑戦してみようという意志が生まれてきます。

幼稚園ママと保育園ママ

来るべき総選挙を控えて麻生首相厚生労働省を分割し、改革するアイディアを公表しました。その厚労省改革のなかには幼稚園と保育園の一体化という政策も含まれています。

麻生首相が提起した厚生労働省分割・再編案 麻生太郎首相が指示した厚生労働省の分割・再編を巡る調整が本格化し、26日には関係6閣僚が再編のあり方などを協議した。(中略)
首相の突然の方針に当初、首相官邸内でも議論は本格化しないとの見方が多かったが、19日の経済財政諮問会議では、文科省厚労省に分かれている幼稚園と保育園の所管を一元化する「幼保一元化」について具体案を作るよう指示。「安心社会」の具体像を示すことは、次期衆院選をにらんで国民受けしやすいという判断があったためとみられる。
毎日新聞 2009年5月26日 20時50分(最終更新 5月27日 1時30分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090527k0000m010079000c.html

幼稚園と保育園は未就学児が毎日親元を離れて「先生」の下で過ごすという点では共通していますが、制度的にはまったく別物です。
幼稚園は教育機関であり、文部科学省が管轄する学校法人です。その目的は小学校の前段階として子どもたちに準備的な教育を行い、知能、体力、社会性などの基礎を形成することです。幼稚園のスタッフは「先生」であり、親とは異なる役割が求められます。したがってその対象となる子どもも3歳以上の、一定の自我を形成した子どもです。
これに対して保育園は福祉施設であり、厚生労働省が管轄する社会福祉法人です。保育園の目的は就業によって育児をすることが難しい親に代わって子どもを保育することです。したがって保育園が対象とする子どもには0歳児も含まれます。保育園のスタッフはかつては「保母」と呼ばれ、親・保護者に類似する役割が求められます。保育士を「先生」と呼ぶのは、他に適当な敬称がないことからくる、慣習です。
このように幼稚園と保育園は別物であり、そこを利用する保護者の身分も異なります。いずれの場合も父親はフルタイムの労働者でしょうが、たいてい、幼稚園に通う子の母親は主婦であり、保育園に通う子の母親はフルタイムの労働者です。幼稚園では送り迎えの前後に自由時間があるため、母親同士が親密になる機会(おしゃべりの時間)が豊富です。保育園では送りの後は仕事、迎えの後に夕飯があるため、母親同士が親密になる時間が希少です。また幼稚園では降園後の昼間に母親が集まって子どもたちを遊ばせる機会が少なくありませんが、保育園ではまず考えられません。
このため幼稚園と保育園とでは母親間の関係性も異なります。幼稚園ママは園外でも独立した人間関係を築きます。いわば横のつながりのあるネットワーク型です。これに対して保育園ママは先生との一対一の関係がベースで、親同士の付き合いは親密ではありません。いわば園中心のハブ・スポーク型のです。
小学校ではこの2種類の母親が混在することになります。その結果、これまで出会うことの少なかった幼稚園ママと保育園ママとのあいだでカルチャー・ショックが生まれます。しかし、その程度は保育園ママの方がより大きいように思います。小学校は保育園のような福祉施設ではないからです。子どもの就学によって保育園ママの負担ははるかに増大しましたが、幼稚園ママの負担はそれほど増えてはいないはずです。またPTAや通学班、パトロールスポーツ少年団などの活動を通して、保育園ママもネットワーク型の関係性に参入することになります。
子どもの小学校入学は、当人だけでなく、親にとっても驚きと戸惑いの連続です。我が家は保育園を利用していたので、カルチャー・ショックは小さくありません。ピカピカの一年生に喜びを感じつつ、子どもと一緒に親も学習する毎日です。

市長選挙2009結果

24日投票、即日開票されたさいたま市長選挙は新顔の清水勇人氏が当選しました。
投票率は前回(35.51%)より7.27%アップして42.78%で、各候補者の得票は次の通りです。
清水勇人 155,966
相川宗一 98,816
中森福代 62,991
日下部伸三 32,249
松下裕 27,448
高橋秀明 26,397
では、先日のエントリーでの予想と実際の選挙結果とを比べてみましょう。
投票率 予想では40%でしたが、実際には42%を超えました。日曜日が荒天だったことを考えれば、予想以上に有権者の関心が高かったようです。前回の2倍の数の候補者が出馬し、競争が激しかったためでしょう。
・当選ライン 予想では10万票プラマイ1万でしたが、実際には15万票を超えました。投票総数の37%の支持が当選者に集まった計算になります。これは清水氏がよく票をまとめ、他の候補者が票を割ってしまったことを意味します。
・勝因敗因 予想の通り、多選・世襲・自民票割れが現職に不利に働いたようです。相川、中森、日下部ら自民党系の候補者の得票を併せると20万近くになります。もちろんこれほどの混戦でなければもっと投票率は低いでしょうから、実際はこの数字の通りではないでしょうが、それでももっと接戦にはなっていたはずです。
共産党票 予想では共産党票は6万くらいと思っていましたが、実際には2万7千票でした。前回選挙での6万票は、相川・中森に対する第3の選択肢として、票を集めた結果だったのでしょう。票読みに関する初歩的な間違いでした。
このように清水氏が当選したのは対立候補の失敗によるところが大きいように思います。新市長の誕生は、現職に世襲・多選という欠点があり、他の候補者が同じ支持層を食い合った結果というのが、妥当な評価のようです。
私自身の個人的な印象は、清水氏にはそれほど期待を寄せていません。一度駅前で聞いた街頭演説には力はなく、政治的な指導力に関しても未熟さを感じました。
ところで、その日は民主党前原誠司副代表も応援に駆けつけ、一人一人に握手をして回っていました。彼は清水氏の松下政経塾での後輩にあたります。インテリで、権力闘争に弱いイメージのあった前原副代表ですが、意外にも直に握った手は太くて、ごつごつとした、ガテン系労働者のようでした。