英文タイトル考

はじめに
 最近つづけて論文の英文タイトルを考える手伝いを求められたので、この機会に日本語論と英語論文のタイトルの付け方の違いについて考えてみたい。
 どんな文章でもそうだが、基本的には論文のタイトルも、明確である(specific)ことと簡潔である(brief)ことがとにかく重要であって、それが満足できれば後述するような修辞にこらなくダメというわけではない。ただし、実際にはこの二つの条件を満足させるだけでも、頭を悩ませることになる。この二条件はしばしばトレード・オフ関係にあって、明確にしようと言葉を重ねると冗長になるし、簡潔にしようと言葉を削ずると曖昧になる。
 そこで、論文から頻出のキーワードを選び出して、その中の上位5単語を組み合わせてタイトルにするという方法で、このディレンマを解決する手もある。たしかにこれなら論文の主題や趣旨は明確になるだろうし、5単語前後に限定すれば簡潔さが失われることもない。けれども、こうやってなかば自動的に生成されたタイトルには動きがなくて、平板で、おもしろみが欠けるきらいがある。では、どんな工夫をすればよいのだろうか。



英文タイトルの実例-入江昭の著作から-
 思うに、タイトルに魅力的な(interesting)ものにする工夫という点に、日英論文で一番大きな違いがある。歴史家の入江昭の著作のタイトルを事例として、その違いを探ってみよう。
 (1) After Imperialism 
 (2) Across the Pacific
 (3) Pacific Estrangement
 (4) From Nationalism to Internationalism
 (5) Power and Culture
 (6) The Origins of the Second World War in Asia and the Pacific
 (7) The Globalizing of America, 1913-1945
 (8) Global Community
 これをみると前置詞と動詞+ingの使用が英文タイトルの特徴であることが分かる。このリストのうち(3)(5)(6)(8)は日本語にそのまま訳しても通用するタイトルである。例えば(6)は『太平洋戦争の起源』、(8)は『グローバル・コミュニティ』という邦題で出版されている。これに対して(1)(2)(4)(7)は邦題を付ける際に工夫が必要である。(1)は直訳すると『帝国主義の後で』であるが、実際には『極東新秩序の模索』という邦題で出版されている。また(7)の場合だと、この時代を「アメリカによるグローバル化」と「グローバル化されるアメリカ」として把握する著者の見方が表現されていて、翻訳しにくいタイトルである。このダブル・ミーニング自体は別に英語に固有の修辞というわけではないけれども、動詞+ingに相当する表現は日本語論文のタイトルではあまりみかけない。そこで、こうした英語に特徴的なタイトルの工夫についてもう少し具体的に考えてみたい。


1.前置詞
 論文でも単行本でも英文タイトルによく使われるのが前置詞である。実在する著作のタイトルを例にとってみよう。
 (9) Before European Hegemony(グローバリゼーションのモンゴル的起源)
 (10) Against the Gods(「リスク」の発見とその歴史)
 (11) Empire to Umpire(カナダの国際的な役割の変容)
 これらはいずれも簡潔かつ魅力的であり、若干明確でないところもあるが、それは副題で補完しうるものである。前置詞を使うことの効用の一つは、まずポストモダンっぽくなることである。across、between、offなどの前置詞を使うと、学界の通説を批判したり、主流派の価値観に揺さぶりをかけるような効果が得られる。またafterやbeforeを使うと、社会的な制度の自明性を否定し、歴史の断層を示唆することができるので、構築主義的な歴史の見方を含意させることができる。from A to Bやtoward、overなども奥行きのあるタイトルになって、ダイナミックな印象を与える点で、読者の関心をひきつける力がある。


2.動詞+ing 
 動詞の原形+ing(を使った分詞構文)の使用も英文タイトルに目立つ傾向である。
 (12) Mapping Ideology(イデオロギー論のリーダー)
 (13) Gendering Modern Japanese Historyフェミニズムからみた近代日本史)
 (14) Discovering History in China(邦題『知の帝国主義』)
 (15) Changing Song(邦題『中野重治とモダン・マルクス主義』)
 (16) Crossing the Neoliberal Line(バンクーバーにおける移民のダイナミズム)
 (17) Embracing the Defeat(邦題『敗北を抱きしめて』)
 ここで列挙したタイトルのうち(12)(13)(14)は研究の方法や視点のありようを、(15)(16)(17)は研究の対象や主題のありようを表現している。このうちのいくつかは邦訳されていて、(14)はその言わんとするところを表現した趣旨型のタイトル、(15)は主題型、(17)は直訳型のタイトルである。最近は(17)のような直訳邦題もめずらしくないが、趣旨型や主題型だとやはり原題の含意が失われてしまう。例えば(14)の原題は「中国は長い歴史をもっているように見えるけど実は歴史などないのだというアメリカの学界の通説を批判し、歴史をみつけよう!」という2回転ひねりを表現したタイトルである。こうした動詞+ingの強みは、くだけた感じや躍動感を与えるとともに、その主張が仮設的で可変的なものであるという留保を示すことができる点にある。


3.逆説・出会いの物
 逆説・出会いの物を使ったタイトルも多い。
 (18) An Inconvenient Truth(アル・ゴアの映画)
 (19) Mechanical Bride(マクルーハンの現代文化論)
 (20) The Invention of Tradition(伝統の発明論の嚆矢)
 いずれも原題の意外性を伝えるために、直訳的な邦題で発表されている。こうした逆説や出会いの物(「手術台の上のコウモリ傘とミシンの出会い」のような)を使ったタイトルは、これまでなかった発見や常識的な見方の刷新を迫る力があるという点で、それだけで魅力的である。ただし、これは英文タイトルに固有の工夫というわけではないし(日本語にも存在する)、修辞が強すぎるため明確さが犠牲にされるという欠点もある(詩的すぎる)。十分な長さの議論が展開できる単著ならよいが、限られた分量しかない雑誌論文や学会発表には向きのタイトルだろう。


4.主旨のキーフレーズ化
 他にもいくつかタイトルを魅力的にする工夫がある。議論の主旨をキーフレーズにしたタイトルは、一目みて議論のエッセンスが分かるから、タイトルと同時に内容も流通させることができる。
 (21) Bodies that matter(バトラーはいつでもタイトルがうまい)
 (22) Imagined Communities(ナショナリズム論の古典)
 (23) Mutual Hostage(戦中の日加関係の名著)



5.疑問詞
 WhoやWhat, How, Why, Whereなどの疑問詞を使ったタイトルもある。疑問文は、本質的に読み手にむかって話しかける形式をもっているから、訴求力がある。また疑問詞を使ったタイトルはリサーチ・クエスチョンを直截に伝えることもできる。日本語でいえば「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」式のネーミングである。
 (24) Can the subaltern speak?(別に入門書が必要な入門書)
 (25) How Tiger Woods Lost His Stripes(世界史的人物T・ウッズの変容)
 (26) Who killed Canadian History?(大御所による多文化主義教育への批判)



6.対句・対照
 対句・対照を使ったタイトルも多い。対句・対照はリズムがあって、しかも絵画的である。たぶんもっとも原初的な詩の形式のひとつではないだろうか。また漢詩の伝統がある日本では一番なじみのある工夫かもしれない。
 (27) Never-Never Land or Wonderland?(公文書館英米比較)
 (28) Reasonable Men, Powerful Words(労農派知識人の思想史)
 (29) The Rise and Fall of Great Powers(ヘゲモニーの興亡)



まとめ

英文タイトルの工夫
1.前置詞
2.動詞+ing
3.逆説・出会いの物
4.主旨のキーフレーズ化
5.疑問詞
6.対句・対照


 ここで実例をあげてみてきた論文タイトルの付け方のうち、英文に特徴的なのは最初の1と2で、他の四つは日本語の著作でもみられる工夫である。それでもなお総じて英文タイトルの方が修辞にこる傾向があるのは、大学・院教育においてエッセイやプレゼンの訓練が占める比重の差があるかもしれない。
 他方で論文っぽくないタイトルから論文っぽさ考え直すこともできるかもしれない。一般の書籍やブログのタイトルではよくあるのに、学術的な著作ではみかけないタイトルのつけ方に、命令形や有用性を全面に押し出したタイトルがある。「スタバではグランデを買え!」とか「いつまでもデブと思うなよ」とか「決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法」とかである。これは英語でも日本語でも共通しているように思う。もちろん論文に読み手にアクションを求める志向がないとか、アクションを促す力がないわけではない。人文・社会科学系の論文が「政治的」で「実践的」なのはめずらしいことではない。ただ、ハウ・ツーものっぽくすると学問的な感じがしなくなる、ということなのだろう。
 いずれにしても、以上の議論は自分がわりあい土地勘のある分野の話であって、自然科学系の論文タイトルにはあてはまらないだろう。また、人文・社会科学系の中でも、言語論的転回を経験している分野では妥当するかもしれないが、厚い記述がとくに求められないような分野では話が別だろう。さらに同じ分野の同じ主旨の報告であっても、オーディエンスによってタイトルの工夫を変える場合もあるだろう。非専門家向けには認知とファンドを目当てにキャッチーな表現を使うだろうし、業界内では検索性を向上させるためにキーワード列挙型にするかもしれない。
 どんなタイトルをつけるにせよ内容以上によくみせることはできない、というのは当たり前の真実であって、タイトルにできるのは、同じ内容ならよいタイトルの方がよく読まれるというだけのことである。対句でいうところの「羊頭狗肉」だけは避けたいものである。